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スペイン映画が見放題!映画配信サービスFlixOléと70年代スペイン映画のFURTIVOな世界

もうすぐフランコ独裁体制が終焉してから半世紀となる。そこで民主化以前のスペインを手っ取り早く知ることができる映画配信サービスを紹介する。

スペイン映画見放題だよ、オーレ!!

映画4000本が見放題のスペイン最大の配信サービスFlixOlé
Netflix, HBO、Primeと並ぶサービスを目指して2018年リリースされ、スペイン製作作品が80%、残りは米大陸、欧州製作作品を含む豊富なラインナップを提供してくれる。現在日本語対応してないが、嬉しい英語字幕付き(体感2割くらい)。スペイン語字幕もあるが、なぜかもれなく文字化けしてる。

クレカとペイパルが使え月額4.99米ドルで無料のお試し期間付き(たしか2週間ほど)
https://flixole.com/


ラインナップは1930年代から現在までの長編、短編、ドキュメンタリー、ドラマが見られる。これさえあれば日本未公開・未発売のスペイン映画の傑作が自宅で見られる。今日6/1に遺作が公開される巨匠カルロス・サウラが舞踏映画を撮る前の傑作群も取り揃えている(当時のパートナージェラルディン・チャップリンの出演作がおすすめ)
ちなみにサウラの新作はこちら↓
http://www.action-inc.co.jp/saura/#

で、この配信を中心に3ヶ月にわたってスペイン映画を見漁った結果、面白かった作品を以下に挙げておく。なお期間を戦後から70年代までの民主化移行期に限ったせいで、筆者の嗜好もあってやや偏ったラインナップとなっている。またすべてがFlixOléでみられるわけではないので悪しからず。
戦後からの時代背景などかいているうち長くなっちゃったので(18000字)、手っ取りばやく作品知りたい向きは目次の★異端の饗宴★からどうぞ。


スペイン映画について知っている二、三の事柄

スペイン映画を掘ろうと決めた一本について書こう。近所のTSUTAYAが渋谷に続いて2023年閉店を決めた。ここんとこ鑑賞は映画館か配信メインになっていたが、配信にないものを借り放題サービスで探すのに重宝していたのでこれは大変残念なニュースであった。DVDを借りに店をふらつき、配信になかったアレックス・デ・ラ・イグレシア『気狂いピエロの決闘』を手に取った。パッケージ裏にはタランティーノも賞賛、とか書いてあってなんとなく気をそがれながら鑑賞。後半、戦没者の谷が重要な舞台として出てくる。調べてみると世界最大の十字架の下に埋葬されたフランコの墓移転に国内世論が真っ二つに割れたという2019年のニュースが出てきて、内戦とフランコが未だに巨大な存在であることを知った。

スペインでは今世紀に入ってから独裁時代の記憶を掘り返す動きがにわかに活発化してきている。内戦勃発 70 年にあたる 2006 年は「歴史的記憶の年」と規定され、独裁体制に関連した記念碑が相次いで撤去されるたび議論を呼んで、繊細なテーマゆえ政治争点化して一進一退を繰り返して今に至っている。一方国会の外では関連映画が次々と作られており、日本公開までどうせ時間もかかることだし、遅まきながらスペイン現代史を再履修しようと本と映画を漁る3ヶ月の引きこもり生活に突入していった。

なにはともあれスペイン映画を知るための一冊の本を紹介する。乾英一郎著『スペイン映画史』(1992.芳賀書店)。スペイン映画史全体を俯瞰した唯一にして最良の手引。ビクトル・エリセとペドロ・アルモドバルしか知らなかった筆者のような入門者にはおすすめ。

巻末には原語での索引、戦後日本での上映実績データ(100本ほど)もついている。映画祭のデータも載っていて、それを見ているとバブル期の日本がいまよりも金があったことが推察される。
1983年『スペイン映画の史的展望』(フィルムセンター)が日本での最初の大規模な特集で、翌84年から現在まで続くスペイン映画祭(渋谷東急)が開かれている。当時はサウラ特集、アラゴン特集など作家のレトロスペクティブも行われていたようだ。

『スペイン映画史』は各作品についてのコメントが最小限に抑えられているせいで、名前はわかってもどんな作品なのかわからない。本書が出版された1992年以降映画史や作家論も原語(じゃなくても英語でも)で出てるので、できれば最新の研究とか参照しながら見たいが時間と懐の都合からまずは見られるものをあてどもなく見ていくことにした。

で実際に映画を見始めると、検閲がゆるんだ民主化移行期前後の作品が、社会について、内戦について直接描くことができるようになっていて面白い。今回はこのボーナス期を中心に見ていき、余裕があれば残りもぼちぼち拾っていくかもしれない。映画と同じタイミングで本も読み始めたので、行きつ戻りつのいい加減な徘徊になるだろう。この記事では触れないがニューシネマ以前のスペインにも立派な映画史があるしflixoleでも見ることができる。今回一番の収穫はカルロス・サウラ作品でそれについては別途書いていく。なお70年代中心に掘ってるが、ジェス・フランコ、レオン・クリモフスキー、アマンド・デ・オッソリオ、ポール・ナスキーらの低予算ホラー、マカロニウエスタン、あとブニュエルは今回スルーでまたいずれ。できるだけいろんな監督の作品を見るように努めたので、広く浅く適当に見ている。

また内戦をテーマにした作品は関連作品も含めるとそれこそ何百という作品群があるみたいで、なかでも日本語で見られるものは作家の一本として見られている印象がある(『ミツバチのささやき』『蝶の舌』『パンズ・ラビリンス』『戦争は終わった』『日曜日には鼠を殺せ』『大地と自由』など)。もっとも内戦を真正面から描いた戦争映画にはいまだありつけておらず、これはまた今後の宿題としてとっておこう。

というわけで前置き長くなったが、30年前の書籍を手引に実際に鑑賞した作品を中心にスペイン映画の転換期を見ていこう。

スペイン映画のニューウェーヴ

以下鑑賞できた作品を中心に概観していく。中心に見たのは70年代なので、その前段となる戦後スペインの時代背景といわゆる"Nuevo cine español"「ヌエボ・シネ・エスパニョール」を駆け足でみていく。

●ガルシア・エスクデロと映画界の新風

内戦後スペインは第二次大戦には中立を保ち終戦を迎えるが、戦時中の親枢軸的な態度が災いして孤立を余儀なくされる。国連決議でスペイン排除の決議が出され、マーシャル・プランの対象にもならず、民主主義国でないとして欧州経済共同体への加盟も認められなかった。
潮目が変わるのは冷戦に突入した頃。1950年排斥決議が解除され、1953年にはアメリカとの間で防衛協定を結び経済支援や軍備の購入をとりつけ、1955年国連加盟を達成し国際社会に復帰する。

国内では1951年頻発するストライキと観光への対応にあたる情報観光省、1952年映画演劇総局が創設される。初代映画局長はガルシア・エスクデロで、この人が映画の改革を推し進めた立役者となるのだが、就任して間もなく一本の映画を評価したことで辞任に追い込まれる。

1951年Surcos『根無し草』は、田舎からでてきたペレス一家が貧乏長屋に住まいながら、あらゆるひどい目に合う我慢劇。一家を搾取するドン・ロケの悪辣ぶりが徹底していて、ハリウッドノワールを参照した滋味がある。
時代はフランコ体制前期(1939-59)の末期にあたり、激しいインフレと都市への人口流入が社会問題となっており、まもなくアウタルキー(自給自足)政策が立ち行かなくなる。『根無し草』はそれまでのスペイン映画によくある戦争英雄もの、カトリックものとは違うネオリアリスモ志向で建前と現実の溝(surcos)を描いた画期的な作品だった。しかし公開された当時は国策として映画によるスペインのアピールを始めた頃。当局の目論見としては同年公開『アメリカの夜明け』でスペインの大陸入植を顕彰するつもりだったため、国辱的な『根無し草』が脚光を浴びるのは嫌煙された。この作品を評価したエスクデロは局長を辞任、その後10年の雌伏を余儀なくされ、この間に次世代を担う監督たちが出てくる。

●バルデム、ベルランガ、アスコナ、ゴメス

1955年映画雑誌を創刊したフアン・バルデムらはサラマンカで国民映画会議を主催する。この会議にはバルデムやベルランガの他に、俳優・監督のフェルナン・ゴメス、小説家のビスカイーノ・カサス、言語学者のフェルナンド・ラサロ・カレテールなどが参加し、検閲や映画批評のあり方、法制度や労働契約などが話し合われている。これを機にスペイン各地に映画クラブが誕生し、サラマンカ国民映画会議はスペイン映画史における歴史的事件のひとつとなった。

目つきが怖いボゼ―様

フアン・アントニオ・バルデムはマドリード生まれで役者一家(ハビエルは甥)。1947年にマドリードに設立されたばかりの国立映画研究所(IIEC)に1期生として入学しベルランガとのコンビで映画を製作。辛辣な風刺喜劇が特徴のベルランガに対して、シリアスなバルデムの作風を確立し若手映画監督を牽引していく。
バルデムの代表作は1955年『恐怖の逢びき』で、ファランヘ党員(独裁時代唯一の合法政党)の大学教授が浮気の最中人をはねて殺してしまい自責の念に駆られる心理劇。浮気相手を演じたのは国際女優ルチア・ボゼーで、直前に彼女が出演したアントニオーニ『愛と殺意』とほぼ同じ話。余談だがボゼーは有名な闘牛士と結婚してスペイン映画にちらほら出てる。

恋するイザベル

翌1956年『大通り』はネオ・リアリスモの傑作。暇な若者たちが一番年若いフアンに中年女性イサベルを誘惑させて、恋に色めく彼女の様子を影から眺めてゲラゲラ笑う話。それ何が楽しいの、、と思うあらすじだが、何度も映画化された他愛のない喜劇を内戦後のスペインを舞台に大胆に脚色して、街を徘徊する以外何もすることがなく、いわれるがままいたずらさせられるフアンが倫理観に苦しみながら徐々に神経をすり減らしていくサスペンススリラーに翻案している。大通りを映した長回しがばしばし決まっていているのも見どころ。
シナリオを書いているのはホルヘ・センプルンで、この人はナチ強制収容所を生き延びてアラン・レネ、コスタ・ガブラス、ウーゴ・サンチャゴらと傑作を連発する反骨の作家。

ルイス・ガルシア・ベルランガはその経歴を紹介すれば、自ずと彼の作品傾向がわかる。1936年内戦が始まり自由党の政治家だった父親が死刑宣告されると、ベルランガは父親への恩赦を求めて青師団(スペイン義勇兵)に在籍してドイツ軍とともに東部戦線で戦った。帰還後ベルランガは反フランコの共和主義者として、スペインの後進性を長広舌で風刺しまくる作風でこの時期のスペインを代表する監督になる。

『死刑執行人』鞄の中に入っているのは…

ベルランガの映画を見ていこう。1952年の『ようこそ、マーシャルさん!』はカンヌに出品され評価もされるが、帰国後作品の辛辣な社会風刺に気づいた当局から以降冷遇されるきっかけとなってしまう。話はマーシャル・プランを当てにした村長が村人総出でスペイン風の村(フランコ体制下の政策を象徴)をでっち上げるコメディで、アメリカ人を見たことがない村長がKKKと赤狩りがないまぜになった悪夢を見るシーンがおかしい。1963年の『死刑執行人』は死刑執行人の娘と結婚したために家業を継がねばならず四苦八苦するコメディで、あにゃもにゃの老執行人おやじが滋味深い。ベルランガはセリフが怒涛のようにあるので鑑賞が大変だが、現在三作品が日本語字幕つき配信で見ることができるようだ。https://canoa.lbff.jp/berlanga/

1973年の『等身大の恋人』はダッチワイフ(日本製)に恋する中年男性を描いた作品で、人形相手に一歩も引かないミシェル・ピコリの名演技が堪能できる珍作。脚本のラファエル・アスコナは他の監督ともくんで(マルコ・フェレーリ等)半世紀にわたって活躍したスペインを代表する脚本家。

フェルナンド・フェルナン・ゴメスは1921年生まれの監督、役者、小説家で、『ミツバチのささやき』『蝶の舌』などで日本でもお馴染み。両親とも舞台役者で、巡業中ペルーで生まれたという経歴で、舞台、小説など大量の作品に関わっており今回見たのもごくごく一部。サウラ『アナと狼』の世捨て人役が印象深い。ボンクラ三兄弟の末っ子で強欲な兄らを横目に一人洞窟に閉じこもって浮遊術を身につけようと祈り続ける変人役。

アナと狼

1964『奇妙な旅』はゴメスの監督作で、実際にあった未解決事件をもとにベルランガが原案書いたサスペンス。撮影も立派だしとぼけたトーンがなんとも言えない味がある(ジェス・フランコがういういしい演技を披露してる)。しかし、保養地を舞台にしているのに老人と戦争後遺症の障害者が出てくるという理由で当局を憤慨させ完成後6年間お蔵入りになってしまう。60年代の観光ブームでは"España es diferente"(Spain is different)というスローガンがよく使われ、ピレネー以南のエキゾチスムを売り出した観光招致に使われたようだが、今作を見て彼の地を訪れようという気にはまずならない不穏な一本。
上映に駆けつけたアルモドバルが感銘を受けたのは有名な話で、初めて女装が画面に写った映画として記憶しているとか。

若きジェス・フランコ

●高度経済成長期とエスクデロ再登場

60年代に入ると高度経済成長を遂げ国民生活が安定する。『ビリディアナ』にまつわる混乱がありつつ、1962年映画局長に返り咲いたエスクデロは検閲官に自身のシンパを送り込み、検閲基準が初めて明示される(カトリック教会、国家の基本原則、国家元首、公序良俗に関わるものは禁止。ちなみに検閲完全撤廃はフランコ死去翌1976年)。
映画館数は10年で1.5倍の5800館に急増し、制作本数も英国と並ぶほどに倍加(1960年代の10年間で約1100本)。観客の需要は増していたが外国映画の人気は依然高く、国産映画の質的向上が急務だった。エスクデロは製作予算の借り入れ額を増やし、新たに設けた「特別映画価値」と評価された作品には助成金、配当金を2倍に拡大支給する決定をする(資金難から結局支払遅延が常態化するが)。1967年観光客増加と芸術映画の苦戦を理由に、大都市での特別興行館を設定し外国映画3:スペイン映画1の比率で「特別映画価値」作品の上映を義務付けた(作品の性格から客席500以下の映画館に限定)。また1966年には出版物規制法(1938-)が廃止されわずかに規制が緩んでいる。

こうして作品発表のための土壌が整い、満を持して大量の新人監督たちがデビューを果たす。エスクデロが再君臨した1962-67年の間に46人が監督デビューし86本製作する。と以上書けば分かる通り量こそ増えたもののニューウェーブ群をまとめて共通するモチーフや方法があるわけではない。またエスクデロが1967年に辞任後映画学校は目立った作家を排出できず入学者が減り情報学科に再編されている。同時代のニューウェーブ映画運動と並べて以上の映画群をヌエボ・シネ・エスパニョールとよぶが、映画学校の卒業生たちを優遇した上からの改革の結果だとみるとその異質さがわかるかもしれない。

で、ここまで書いておいてなんだがこの時期の映画はほとんど見れていないので、改革の成果や作品についてはいまだよくわからない。
時期的には後期フランコ時代に突入し世の中の雰囲気が少しずつ変化している。キューバ革命で幕を開けた1959年、ETAが結成され、戦没者の谷が公開され、オプス・デイ信徒のテクノクラートが多数入閣する。フランコ体制下唯一の合法政党ファランヘ党員の影響力が相対的に低下し、内戦中から国内の信徒に同情的だったローマ教皇ピウス12世が死去して改革派のヨハネ23世に代わられると、フランコも党と距離を置き始めファシスト的な性格を脱臭し始める。もともと雑多な糾合政党だったファランヘ党員の反応も様々で、改革を唱える派閥や逆に内戦の英雄を顕彰する極右組織に流れて民主化移行期まで燻る火種になる。経済政策が成功し豊かな生活が到来し始めるも、再度EECへの加盟を拒否され、権威主義体制への不満から学生運動と組合運動が盛り上がりはじめる。

1966年『Nueve cartas a Berta』は保守的な家庭に生まれた若者の複雑な内面を描いた作品。監督はバシリオ・マルティン・パティーノで、この人はサラマンカ大学にシネクラブをつくりサラマンカ映画会議を企画した立役者。映画学校を出たあと宣伝映画で活躍し『ベルタ』の後にも面白そうなドキュメンタリーを色々撮っている。1971年Canciones para después de una guerra『戦後の歌』は歌で辿るスペイン半世紀、1973年Queridísimos verdugos『愛すべき死刑執行人たち』はスペイン最後の死刑執行人、1974年Caudilloはフランコ時代の宣伝の表象を追った作品で、いずれも公開はフランコ死去後。

『愛すべき刑執行人たち』は執行人の3老人にワインを振舞ってほろ酔い加減に過去の思い出を語らせる傑作ドキュ。それぞれの経歴やおしゃべりもさることながら、スペインの極刑級事件をおさらいできてためになる、毎年恒例の死刑映画週間にもぴったりな一本。
パティーノはベルタの他にも劇映画も撮っているがフランコ体制下で撮影された映像の断片を詰め込み虚実の境をくらましたその作風は、比べるならクリス・マルケルあたりで要するに筆者の手に終えないインテリ作家。誰か解説と字幕つけて上映してくれないものか。

★異端の饗宴★70年代スペイン映画のFURTIVOな世界

さていよいよ目玉の70年代。1975年11月20日フランコ総統が82歳で病没する。帝王教育を受けたフアン・カルロス1世が即位し、40年ぶりの総選挙、新憲法制定、社会労働党政権誕生まで足掛け7年の難局を乗り切り奇跡の民主化を成功させる。こんにちスペインと聞いて思い浮かべる各地方の魅力が一斉に花開き観光立国として新たな出発を遂げる。ただし、新秩序は旧体制からの人的連続性が高く社労党政権移行までの間合意の政治色が強まり、1977年制定「忘却の協定 Pacto de Olvido」はこれを裏付けるもので、民主化を最優先させるためフランコ体制下の犯罪を追求するいわゆる移行期正義は行われなかった。これが改めて取り上げられるのは記事の冒頭に書いた通り今世紀に入ってからである。

さて、政治の場で不問に付されたとて(ゆえ?)映画がこれを見逃すはずもない。映画にとって抑圧とは最良のエサにほかならず、長きにわたった検閲が終わった以上、フランコが喧伝してきた「ひとつのスペイン」に倣うはずもなく、これまで表象不可能だった異端のスペインが銀幕に一気に噴出する。ガロテによる処刑、土地寡占、不正選挙、右翼テロ、嬰児誘拐、拷問、近親相姦、密猟、共産党、ETA、カスティーリャ以外の言語、移民、ヒターノ、精神病者、自殺、フェミニズム、クイア、ドラッグ、ポルノ…などなど。今回選んだ作品はとくに暴露的なマナーで演出されており、体制下の抑圧された民衆の表象として動物が無惨に殺戮されているので、その点留意の上鑑賞したほうがいいだろう。
70年代は古いスペインが拝める最後の時期で、この前でも後でも見られない強烈な作品が目白押しとなっている。今回鑑賞した範囲での雑感では、このボーナス期は80年代に入るとアルモドバルがパンクを引っ提げて登場したのをピークにその役割を一端終える。
ちなみにfurtivoとはスペイン語で『秘密の』とか『密猟』という意味。過去半世紀にわたって表象を禁じられてきた秘密のスペインをとくと堪能することにしよう。

●エリアス・ケレヘタとその周辺

エリアス・ケレヘタは1935年ギプスコア生まれの元サッカー選手という経歴の映画製作者で、現在のスペイン映画の顔を作った最重要人物。といってくわしいことはわからないのでただ映画を見るべし。名撮影監督ルイス・クアドラドと組んで、編集にパブロ・ゴンサレス・デル・アモ、音楽にルイス・デ・パブロを据えてサウラやエリセの名作を連発する。クアドラドが病気で引退後は弟子のテオ・エスカミリャを迎えて様々な監督に撮らせた。この時期のサウラ、エリセは全作必見だが、その他にもハイメ・デ・アルミニャン、ペドロ・オレア、グティエレス・アラゴンなどに撮らせている。この二人の撮影監督とケレヘタを追いかけていれば良作に出会えるだろう。

パスクアル・ドゥアルテ

1949年生まれのリカルド・フランコがケレヘタ組で撮った1976年『パスクアル・ドゥアルテ』は今回見た中で最も衝撃的なトレメンディスモ(凄絶主義)の最高傑作。原作はカミロ・ホセ・セラがまだ20代で書いたピカレスクロマンのデビュー作で(この作品でノーベル賞受賞)、20世紀初頭から内戦直前までの時代を背景に、大規模土地所有制度のもと貧しい農夫が狂った一代記を曝す話。フランコ死去翌年、民主化に歓喜した民衆がポルノの波を浴びまくっていた頃公開され埋もれてしまった大傑作。

スペイン映画の顔といえば31年ぶりのエリセ監督作に出演したアナ・トレントだが、ケレヘタ製作から離れたハイメ・デ・アルミニャン監督1980年『』は70年代の陰影はどこへやら、80年代の幕開けを祝福した爽やかな純愛もの。マクベス夫人に扮したアナ・トレントがやもめ老人を意のままに操り一歩も引かない演技を披露している。トレントはこのあとも話題作に出演し、フランコの妻やETAの闘志など際どい役を見事に演じることになる。

●ボラウと次世代

1929年生まれホセ・ルイス・ボラウは検閲に苦しみ自由に撮れるまで苦労するが、1975年Furtivos密猟者たち』は自身出演もした渾身の快作。山岳地帯で老いた母親と二人密猟で食ってる冴えない30男が、矯正施設から逃げ出してきた女と出会う話。母親と同じベッドで寝ているボンクラが、逞しい二の腕を持つギャルと母親の間で揺れ動く。映画のトーンや80分以下という長さからこれは午後のロードショー日本語吹き替えで見たいやつ。ボラウは映画学校で講師を務め、グティエレス・アラゴン、イバン・スルエタやハイメ・チャバリのデビューを手伝っている。

マヌエル・グティエレス・アラゴンはカンタブリア出身なので勝手に山岳派と呼ばせてもらう(『密猟者たち』も半分彼が撮っている)。ケレヘタ製作1972年Habla, mudita話してごらん』は、休暇で山小屋を訪れた初老の作家が聾唖の少女に言葉を教えようとする話。雄大なロケ撮影はアラゴンの真骨頂で、異なる他者とのコミュニケーションが重要なモチーフになる。今作で彼のミューズとなるアンヘラ・モリーナと初タッグ。
1977年には移行期最大の問題作Camada negra『黒い軍団』を発表する。極右組織に所属する少年が民主化運動をあらゆる手段で妨害しようとする話で、実際の右翼団体の集会を映した映像や無軌道に暴れまわる少年を追いかけたスピード感から東映実録路線を想起させる。撮影時から嫌がらせを受けていたが封切り時にはモデルになった団体から劇場に火炎瓶を投げ込まれたいわくつきの一本。

「黒い軍団」

1979年El corazón del bosque『森の中心』は内戦後のマキをめぐる神話的な傑作。ノルマン・ブリスキが内戦で引き裂かれた苦悶を見事に表現し、この作品でアラゴンはサウラのシンボリズムとも異なる独自の詩的言語を完成させている。『ブンミおじさんの森』と『地獄の黙示録』を合わせたようなすごい作品。

森の中心


1979年からもう一本。デザイナーで前衛作家のイバン・スルエタ恍惚』はフィルムをいじくる間にその魔力に取り憑かれたジャンキーを描いて、スルエタの経歴とそのドラッギーな内容からカルト映画になってる。

恍惚

ハイメ・チャバリはファランヘ党員の両親のもとに育ち、1976年『幻滅』は高名な詩人の没落一家に取材したドキュメンタリー。1977年A un dios desconocido見知らぬ神に』はロルカに着想を得て初老のゲイを描いた静かな逸品。

A un dios desconocido

ホラー映画はこの時期のスペイン映画を代表するジャンル("Fantaterror")だが、なかでも狼男映画が発達したようだ。ペドロ・オレア監督1970年『狼の森』は喜劇役者ホセ・ルイス・ロペス・バスケスを主役にした狼男映画の変わり種。カトリシズムの抑圧と北部山岳地帯のフォークロアを混ぜ、発作的に人を襲う男の哀しい内面を強烈な顔面で演じきった佳作。ペドロ・オレアはビルバオ出身で田舎ホラーを得意とし、1972年La casa sin fronteras『国境なき家』ではカルト教団にリクルートされた出稼ぎ青年を描いたりしてるが、彼の出自も含めて地方映画として見たほうがいいのかもしれない。

フランコ体制下で公式にはカスティーリャ語映画しか撮影が許されなかった事情を鑑みると、各地域ごとの映画史というものを見据えないとその全貌を追うことは難しいのかも。1970年にはカスティーリャ語以外の映画製作を求める総会が開かれ、フランコ死去後は戦前の地方主義を復活させた疑似連邦制が各地で盛り上がり、まずはカタルーニャで映画産業振興のための団体Institut del Cinema Català(ICC)が創設され、各地でも各言語の映画製作の機運が盛り上がっていく。
もっとも国営テレビの出資を除けば、映画に金を出している自治政府はバスクとカタルーニャだけで、前者は製作時点でも出すが、後者はカタルーニャ語への吹き替えにその予算をほとんど使っている、など各地で様々である。

余談だが明石書店のエリア・スタディーズはスペインだけで6冊もある。スペイン、スペインの歴史、マドリードとカスティーリャ、アンダルシア、ガリシア、カタルーニャ、バスク。各巻末におすすめ映画なども掲載してくれている(近年公開の日本語鑑賞可能作品が中心)。

●バルセロナ派と外国人監督

バルセロナ派を紹介する。バルセロナは独自の文化(建築や美術)を持ち、マドリードとの関係は東京に対する大阪のようなものと形容される。産業革命が唯一成功してスペインの工場と言われ、トーキー映画の制作スタジオもマドリードに先駆けて作られた。エスクデロが主導した映画学校主体の製作に対抗して、この地でも学校を創り独自の映画製作が試みられ、その一派はEscuela de Barcelonaバルセロナ派と呼ばれるらしい。らしい、と書いたのはその実態がよくわからず作品も数本見ただけだから。『スペイン映画史』ではカイエ派みたいなものと書いてあったが、どうなんだろう。Vicente Aranda, Jaime Camino、Gonzalo Suárez、ペレ・ポルタベリャ、ホルヘ・グラウ、こんな人たちのことを指すようだ。

ペレ・ポルタベリャは制作会社Films 59を創り1959年カルロス・サウラのデビュー作『ならず者』やフェレーリのEl cochecito、ブニュエル『ビリディアナ』など製作している。自身監督もはじめ1968年『Nocturno 29』はルチア・ボゼーとサウラの兄アントニオが出演したほとんどセリフがない実験的な一本。1970年Cuadecuc, vampire はクリストファー・リーがジェス・フランコ『吸血のデアボリカ』の舞台裏を明かすオフビートな一本。どの作品もキアロスクーロきつめのアートハウス系でかなりクセがある。その後も製作は続けるが、70年代後半からは政界にも進出している。

Fata Morgana

ビセンテ・アランダはバルセロナ派の代表。1965年『ファタ・モルガナ』をはじめ、美女を主役にしたサスペンスをたくさん撮っている。『ファタ・モルガナ』は『スペイン映画史』の記述では面白いが説明不可能だと放擲されている奇天烈な傑作スリラー。広告の美女モデルが変なおじさんに追われてバルセロナの建築群を駆け回る話。1972年『鮮血の花嫁』はバートリ・エルジェーベトに端を発するカーミラものの翻案。森の中に建つ古城に奇天烈な美女が出てきて暴れるバンパイアホラーで随所にアイディアが光る傑作。1977年『性転換』は流行りの手術に取材したスポコン性転換映画。これがビクトリア・アブリルと初タッグで、以降アランダ作品の常連になる。二部作で制作された『エル・ルーテ』(1987.1988)は60年代に脱獄を繰り返して当局から『民衆の敵』と呼ばれたヒターノ(ロマ)の一代記を描いた実録犯罪ドラマ。

鮮血の花嫁

前述のICCの創設メンバーでカタルーニャについてのドキュメンタリーなど撮っていたJordi Feliu i Nicolauの自主制作1978年『不思議のスペインのアリス』Alicia en la España de las maravillasはバルセロナのうさぎ穴を通り抜けるとフランコスペインのディストピアが待っていた、という笑えないアリスものの翻案。民主主義についてきちんと答えないと裸にされてしまうカタルーニャ版「未来世紀ブラジル」。

ゴンサロ・スアレスは唯一?未だに撮っている作家、監督、俳優。その名前を知らしめた1965年『ファタ・モルガナ』(脚本参加)は初期代表作だが作品をめぐってアランダとすれ違いその後は自分で監督している。初期の監督作は自身出演もしており、1969年『Ditirambo』は手作り感満載の探偵映画だがしっかり映画をやっている傑作(下の写真はスアレス)。

Ditirambo

50-60年代は安い人件費と荒れ果てた大地を求めてハリウッドから多くの巨匠たちがこの地で史劇を撮影し、『ソーロの復讐』を嚆矢に60年代からはイタリア人がマカロニ・ウエスタンを大量生産している。今回このへん全く触れてないが、レア物を一本紹介する。
1979年『オグロ』は言わずとしれた『アルジェの戦い』のイタリア人監督ジッロ・ポンテコルヴォが、ETAによるブランコ首相爆殺事件を忠実に再現した実録犯罪スリラー。『スペイン映画史』にも出てこないしその内容故なのか見過ごされてしまっているが、クライマックスのミニチュア特撮(リンチ版『デューン』など300以上の作品に参加したスペイン最大のセットデザイナーEmilio Ruiz del Río)や音楽(モリコーネ)も素晴らしい傑作。制作時期的にも絶妙だが、惜しむらくこれがポンテコルヴォ最後の劇映画となってしまう。アナ・トレントがちょい役で出てる。

Ogro

●女性監督とクイア映画

女性映画監督はやはり少ない。オペレッタ原作の1936年El gato montés『山猫』が最初期の女性監督による長編トーキー作品とされる。

ぐっとくだって戦後。アナ・マリスカルは女優のち監督した稀有な才人。俳優の兄ルイスの撮影現場について行ってたまたま監督の目にとまり役者となった。兄妹で出演したフランコ原作の悪名高いRaza「種族」(1941)の演技で脚光を浴びる。その後兄の友人だったロルカの「イェルマ」を演じるなど舞台でも目立った活躍を見せ、50年代に入ると自らプロダクションを立ち上げ製作監督を始める。

Segundo López

1953年Segundo Lópezはフランコ独裁時代初めて撮られた女性監督による映画で、出演もしているマリスカルが自身のプロダクションで製作した監督脚本デビュー作。田舎からでてきた中年男がマドリードの貧乏アパートに逗留を決め、隣室で病に伏せている幸薄な女性(マリスカル)を励まそうと、乞食の少年とともに金策する話。製作資金が足りず、監督持ち出しで製作にあたり、主演に(!)素人役者を起用してか画面はなんとも貧乏臭いというか親しみやすいというか。主演二人の掛け合いと行き当たりばったりな金策と放浪がチャーミングに演じられており、また当時のマドリードの市街や狭い部屋などが見どころか。批評は当たったが興行は惨敗。その後はアルゼンチンとスペインで端役に何本かに出演しながら、自身のプロダクションで製作を続けた。

セシリア・バルトロメ、ピラール・ミローは映画学校を卒業した第一世代の女性監督たちにあたる。バルトロメは親が赤道ギニアの映画検閲官に指名されたことから20歳までかの地で過ごしたという変わった経歴をもつ。帰国後マドリードの映画学校に入学し、女性の性や教会結婚にまつわる実験的な短編を発表する。

マルガリータと狼

1969年Margarita y el loboマルガリータと狼』は卒業制作の中編で、このテーマで撮られたスペイン映画史最初期の作品で、五月革命やヒッピームーブメント、ビートルズなどの洗礼を消化した歌って踊る楽しい一本。ただし例によって当局により上映許可がおりずお蔵入り。ブラックリスト入りして実名での制作が難しくなり、ボラウのもとで変名で仕事を続ける。1977年Vámonos, Bárbaraはスコセッシ『アリスの恋』に触発された作品で、オリジナルとは結末が変えてある。この作品で撮影監督を務めたアルカイネと結婚している。

ピラール・ミローは60年代からテレビの仕事をしていて、1980年El crimen de Cuenca『クエンカ事件』は戦前の冤罪事件を題材にした実録拷問映画。謂れのない罪で収監されひたすら拷問を受け続けるのだが、その描写が生々しくてとても正視できん。爪の間にアレしたり、アレをアレして天井から吊ったり。公開当時最後の右翼テロがさかんだった時期ゆえ、その描写の苛烈さから軍事裁判にかけられかかったいわくつきの作品で、この公開経緯が宣伝になり興行は大当たりしたとか。ミローはその後も映画撮ってるが、映画総局長に就任し80年代後半には公共放送RTVEの総裁務めている。テレビと組んだ文芸路線映画の普及に尽力した。

国会議員

44年生のエロイ・デ・ラ・イグレシアは独特の作風を持つオープンリーゲイの監督。はじめは普通のサスペンスなど撮っていたが、世の中の変化とともに自身の性的志向を作品に敏感に反映させていく。1973年『青い世界の殺人』は『時計じかけのオレンジ』をゲイテイストで描いた珍作。Quinqui Filmsキンキフィルムという不良映画の第一人者に数えられる。その特徴はドラッグや窃盗、売春など若者の風俗を実際の当事者たちを起用してロケ撮影で描いた点で、そこに内戦以来40年ぶりの国会議員総選挙と監督自身の性的志向を混ぜた最高傑作1979年『国会議員』を放つ。モロだしだがアルモドバル以前のクイア映画としておすすめ。

フランコ時代が終わると、それまで禁じられていたドキュメンタリーの制作も許されるようになり、意欲的な作品が作られた。クイア性を真っ向から描いたドキュメンタリーが1983年Vestida de azul 『青を纏って』。トランス女性が性風俗業に従事する日常を、家族友人の反応を交えて赤裸々に晒している。性転換手術のモロだしな描写や彼女たちの佇まいを見れば、アルモドバルが依拠していた世界がよくわかる。

青を纏って


以上3ヶ月引きこもってスペイン映画を見まくったうえで雑感混じえて書いてみた。しかし改めて取り上げた作品を眺めてみると、フラメンコも闘牛もないとはね。各作品のもう少し詳しい記事を準備中。Adiós!!

●関連映画人リスト(生年順)

以下今回見られた主要映画監督らを生年順にwikipediaから転載しておく。

  • Segundo Víctor Aurelio Chomón y Ruiz (also Chomont or Chaumont French: [ʃomɔ̃]; 17 October 1871 – 2 May 1929,Teruel) 

  • フランシスコ・フランコ・バアモンデ(Francisco Franco Bahamonde、1892年12月4日 - 1975年11月20日)原作者

  • Edgar Neville Romrée ( Madrid , December 28, 1899-Madrid, April 23, 1967)

  • ルイス・ブニュエル(Luis Buñuel, Calanda, Aragon, 1900年2月22日 - 1983年7月29日)

  • León Klimovsky (Buenos Aires,16 October 1906 – 8 April 1996)

  • José Fernández Aguayo (Madrid.1911 – 11 May 1999)撮影監督

  • José María García Escudero ( Madrid , December 14, 1916 - id., May 8, 2002)映画局局長

  • Amando de Ossorio (Madrid,6 April 1918 – 13 January 2001) 

  • ルイス・ガルシア=ベルランガ・マルティ( Luis García-Berlanga Martí,  · Valencia, Valencia, Comunidad Valenciana 1921年6月12日 - 2010年11月13日)

  • Fernando Fernández Gómez (August 28, 1921 · Lima, Lima, Peru – 21 November 2007) 

  • フアン・アントニオ・バルデム(Juan Antonio Bardem, Madrid, 1922年6月2日 - 2002年10月30日)

  • Emilio Ruiz del Río (Madrid. 1923 – September 14, 2007)

  • Ana Mariscal ( Madrid , July 31, 1923 - ibid. , March 28, 1995)

  • ホルヘ・センプルン・マウラ(Jorge Semprún Maura,1923年12月10日 - 2011年6月7日)脚本家

  • Jordi Feliu i Nicolau監督( Barcelona , ​​May 1 , 1926 - Barcelona , ​​April 27 , 2012 )

  • ラファエル・アスコナ(Rafael Azcona,Logroño La Rioja,1926年10月24日-2008年3月23)脚本家

  • Pablo González del Amo ( Madrid , 1927 - ibid. , August 4, 2004)編集者

  • Jaime de Armiñán Oliver (born 9 March 1927) 

  • Pere Portabella i Ràfols(February 11.1927,Figueres, Catalonia)

  • マルコ・フェレーリ(Marco Ferreri、1928年5月11日 - 1997年5月9日)

  • José Luis Borau Moradell (August 8, 1929 · Zaragoza, Aragón– 23 November 2012)

  • Jorge Grau (Born October 27, 1930 · Barcelona, Barcelona, Catalonia, – 26 December 2018) 

  • Pablo Núñez(1930-2016)、漫画家、デザイナー、製作者

  • ネストール・アルメンドロス(バルセロナ、Néstor Almendros、1930年10月30日 - 1992年3月4日

  • Jesús Franco Manera , also known as Jess Franco ( Málaga , May 12, 1930- Málaga , April 2, 2013)

  • Basilio Martín Patino ( Lumbrales , Salamanca , October 29, 1930- Madrid , August 13, 2017)

  • カルロス・サウラ(Carlos Saura, Huesca 1932年1月4日 - 2023年2月10日)

  • Fernando Arrabal Terán (Melilla, born August 11, 1932)

  • Luis Cuadrado Encinar (Toro, Zamora, Castilla y León,8 July 1934 – 18 January 1980) 撮影監督

  • Gonzalo Suárez Morilla (Oviedo, Spain, 30 July 1934)

  • エリアス・ケレヘタ・ガラテ( Elías Querejeta Gárate, Hernani , Guipúzcoa 1934年10月27日 – 2013年6月9日)製作者

  • Mario Camus García (Cantabria, 20 April 1935 – 18 September 2021) 

  • Manuel Summers Rivero (Seville, March 26, 1935 - Ib. , June 12, 1993) 

  • Narciso Ibáñez Serrador ( Montevideo , July 4, 1935 - Madrid , June 7, 2019 )

  • Jacinto Esteva Grewe (Barcelona, Catalonia, 1936 -  September 9, 1985) 

  • Pedro Olea (30 June 1938, Bilbao) 

  • ビクトル・エリセ・アラス(Víctor Erice Aras, Valle de Carranza , Vizcaya, 1940年6月30日 - )

  • Cecilia Margarita Bartolomé Pina ( Alicante , September 10, 1940)

  • Teodoro Escamilla (Seville , Spain , October 20, 1940 - Matanzas , Cuba , December 21, 1997)撮影監督

  • Pilar Mercedes Miró Romero (20 April 1940 – 19 October 1997)

  • Manuel Gutiérrez Aragón (January 2, 1942 · Torrelavega, Cantabria) 

  • Jaime Chávarri (Madrid, Spain. born 20 March 1943)

  • as Iván Zulueta
    Juan Ricardo Miguel Zulueta Vergarajauregui (Donostia-San Sebastián, 29 September 1943 – 30 December 2009)

  • Eloy de la Iglesia ( Zarauz , Guipúzcoa , 1 January 1944 – 23 March 2006)

  • ビガス・ルナ(Bigas Luna, 1946年3月19日 - 2013年4月6日)

  • Ricardo Franco ( Madrid , May 24, 1949 - Madrid , May 20, 1998)

  • ペドロ・アルモドバル・カバジェロ(Pedro Almodóvar Caballero、 Calzada de Calatrava, 1949年9月25日 - )

  • Agustí Villaronga i Riutort (Palma, 21 d'abril de 1953 - Barcelona, 22 de gener de 2023)

  • フェルナンド・ロドリゲス・トルエバ(Fernando Rodriguez Trueba, 1955年1月18日 - )

  • フリオ・メデム(Julio Medem, 1958年10月21日 - )

  • ホセ・アントニオ・ドミンゲス・バンデラス(José Antonio Domínguez Banderas, 1960年8月10日 - )

  • イザベル・コイシェ・カスティージョ(Barcelona , ​​カタルーニャ語: Isabel Coixet Castillo: カタルーニャ語発音: [izəˈβɛɫ kuˈʃɛt], 1960年4月9日 - )

  • ホセ・ルイス・ゲリン(Barcelona , ​​José Luis Guerín, 1960年 - )

  • アレックス・デ・ラ・イグレシア(ビルバオ、スペイン語: Alex de la Iglesia, 1965年12月4日 - )

  • イシアル・ボジャイン(Icíar Bollaín, Madrid.1967年6月12日 - )

  • ジャウマ・バラゲロ(Lleida、カタルーニャ語: Jaume Balagueró[2], 1968年11月2日 - )

  • アレハンドロ・アメナーバル(チリ、スペイン語: Alejandro Amenábar, 1972年3月31日 - )

  • Albert Serra Juanola (Catalan: [əlˈβɛrt ˈsɛrə]; born 9 October 1975) 

  • ロドリゴ・ソロゴイェン・デル・アモ(Rodrigo Sorogoyen del Amo, Madrid, 1981年9月16日 - )


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