「創られた伝統」を創るためには何が必要か。
「創られた伝統」という言葉があって、これはエリック・ホブズボームというイギリスの歴史家が提唱した概念ですが、一般には非常に否定的な意味合いで用いられています。
特定の制度や習慣・儀礼などが「伝統」として重んじられているように見えるけれど、そんなものは別にそう古くまで遡れる訳じゃなく、割と近年に「創られた伝統」なのさ、みたいな軽蔑的な感じですね。
日本では、例えば「国家神道」などが「創られた伝統」として批判されたりしています。
平山昇『初詣の社会史 鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ddcc4ae665a9553914f37dcdc4466a1f
一番優れた入門書、平山昇『初詣の社会史』(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/fe4613ca4b30599c95cfec174bd17a5c
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7887d83c705c42cdea41748ea0b86e30
さて、世界各地の、古代・中世の宗教的建造物を復原し、いわば時空を超えたグローバルな「里宮」を日本に建造しようとすることは、まさに「創られた伝統」を創り出そうとする試みです。
その試みが、「創られた伝統」でありながら、ある程度の期間経過後には世界から注目され、それなりの権威を持つ「伝統」となるためには何が必要なのか。
私は、それはかつて存在していた宗教文化を復原しようとする徹底的に科学的な精神だと考えます。
土木・建築などの工学だけではなく、考古学・歴史学・宗教学・人類学等のあらゆる人文科学、そして自然科学を総動員して、過去を復原しようとする強い意志ですね。
もう一つの「宗教と科学の接点」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5017f18626ffc831c4472179c01722fa