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【国際プロレス⑤】日本リーグ争覇戦、なぜ大木金太郎は参加しなかったのか

 国際プロレスが吉原社長のプロレス生活25周年を記念して開催された
「日本リーグ争覇戦」。新日本プロレスが同時期に開催した「プレ日本選手権」と比べてみても、そん色のないメンバーがそろったと改めて感じる。
 参加メンバーは、Aブロック=マイティ井上、グレート草津(国際)、ロッキー羽田、大熊元司、ミスター・サクラダ(全日本)、ミスター・ヒト(フリー)、梁承揮(韓国)、プロフェッサー・タナカ(日系)、Bブロックがラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇、鶴見五郎(国際)、グレート小鹿(全日本)、キム・ドク、石川隆士(フリー)ディーン・ホー(日系)というメンバー。この両ブロックから上位3名づつが決勝トーナメントへ進出。さらにシード枠のジャンボ鶴田、大木金太郎が加わっての8選手で決勝トーナメントが行われるはずだったが…。
 まずは決勝のラッシャー木村対プロフェッサータナカ(昭和53年11月30日、千葉公園体育館)から振り返る。

タナカのセコンドに付くヒトとサクラダ。狼軍団を意識したものにも見える。
決勝カードとなったのが、木村とタナカ。鶴田はタナカに反則負けで決勝ならず。
木村はタナカやセコンド陣の攻撃に流血に追い込まれる。
場外へ落ちた木村に攻撃を加えるサクラダとヒト。
苦戦を強いられた木村だが、最後は優勝を果たす。

 そして決勝戦に先立って行われたのが大木と浜口の特別試合。シード権は
棄権した大木だが、最終戦の千葉大会に参戦していることから特に団体側と険悪な関係になったことではなさそうだ。実際、大木は翌年10月の世界3大タイトルマッチに上田馬之助と組んで出場。昭和55年には入団を果たしている。

レフェリーはジャッククレイボーン。

 この試合の意外な結末、さらに控室に貼られた貴重な取り組み表、さらには、前々日の鶴岡大会に急遽出場し、スタンプに名前が間に合わなかった件、そして、大木が出場しなかった理由などについて、振り返っていきたい。

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