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生きやすく過ごすために
4回目の休職中である。
私は体が弱く、手術や入院を経て身体障害者になった。また手術があるのが、26歳になった今もこわい。初めての手術は高校生の時だった。あの時は自分は選ばれたヒーローのような気持ちだった。立ち向かってやろうじゃん!私なら大丈夫!とか思ってた。
雲行きが怪しくなったのは社会人2年目。すっかり不調も出ず、一人暮らしを楽しみ、働いていた。
お風呂にいつも通り入った途端、発作ほどではないアクシデントが起きた。心臓のとくん、とくん、のリズムがととと、と一瞬狂ったのだ。
これ、めちゃくちゃ気持ち悪い。自分の意識でどうにもできない不快感に、一瞬であの頃に引き戻された。そして蘇ってくる、息苦しくてどうにもできないあの感じ。
そうだ、私は、障害者なのだ。あの1回の手術で未来永劫なんの心配もいらないスーパー人間になったわけではない。症状が落ち着いてるのは薬のおかげでお守りのおかげ。
私は持病からくる必要な配慮や事情の説明を職場の上司にしていたが、とても不十分だった。なぜかと言うと、もう具合悪くなるわけがないと思ってたからだ。とても呑気で馬鹿すぎる。
初めての仕事。まわりの大人がいうことは正しくて、私もそうしないといけない、とも思っていた。だから重いものを運んだりお客さんが忘れ物をすれば走って届けた。一度それをやると、大丈夫だったから、と自分に言い訳をしてまわりに頼めなくなった。今思うと色々考えずまわりに助けてもらえばよかった。
数年経って異動した上司に会った時、障害者の配慮の話になった。1年ほど一緒に業務を担当して、本音を話せる仲になっていたので、「そういえば、私が入ってきた時、そんなに配慮してもらえなかったと思うんですけど」と突っ込んでみた。
上司いわく、「事前に聞いた時は、どんな弱々しい人が来るんだろうと思って皆で気を揉んでいた。でも実際来たらなんでも自分でやるし、困った感じもないから大丈夫なんだ、と思った」とのこと。
私はムッとなり、「困っても言えなかったんですよ、言えば助けてくれたんですか?」と言った。
上司は、「こっちからあれもしようかこれもしようかって言うのは、ちがうじゃん。できることも取り上げちゃうかもしれない。あなたも息苦しいだろうし。」と言った。
なるほど。なるほどぉ〜、、、。
この話を聞いた時、すでに2回ほど休職していた。もっと早くお話ししたかったなぁ、と思った。
私は発達特性もある。知覚統合と処理速度が他と比べすごく低い。処理速度で言うと、自分のことなのに理解するのに馬鹿みたいに時間がかかるので逆に面白い。しかも一度通った道を何回か通ってやっと分かるのだ。知覚統合は、最近分かったのだが、イメージする力のことらしい。たしかに頭で聞いた話をイメージするのが難しいと感じる。だから書いてくださいって心理士の先生は言うんだなぁ、と思った。
たぶん、安定して働けないのは、発達特性で生じる困難を無理矢理頑張ってカバーするきつさと、休むことによるまわりへのは罪悪感と、できないことによる自信のなさ、歪んだ認知による思い込みのクセ、高すぎるプライドによる馬鹿にされたくないと言う強い思いからの回避が原因だと思う。
と言うわけで、発達特性への配慮の説明書の作成に取り組もうと考えている。主治医とカウンセリングの先生とだからできそうだと思える。
説明書があれば現職でも転職でも使えるだろうし。
でもなかなか進まない。人生の選択が本当に進まない。もう一人暮らしはできそうにないので誰かと住むことになるのだが、彼氏と同棲してるアパートには2週間に1回泊まりで帰ればいいほうで、ほとんど実家に居る。実家はとても不便で、免許のない私には移動がストレスフルだ。ということは、実家ごと引っ越せばいいのではと思うのだが、安定して働けるかいまのところ分からないので、ここに引っ越そう!と提案することができない。
借りても、払えなくなり困らせることになるかもしれない。
となると彼氏と住めば、となるのだが、彼は夜勤があるので夜に1人になってしまうのだ。
1人になると、不安になったり、不調になったらどうしよう、と考えてしまう。パニックのようにもなってしまうので、これは対策を考えたり、考え方を変えていけないか先生に相談してみよう。