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何故私は透析患者となったのか?

結構言われます。「どうせ旨いもんでもたらふく食うからなったんだ。」とか。正直少食で、お酒は飲まないので、仕事帰りに一杯とか、その後にラーメンとか、サラリーマンらしい事もしてないので、どっちかというと多分「食」に関しては健康的な方だと思います。

僕の腎不全は思い返せば「ブラックな職場」に潰された様なもの。


元々自営していたが、生活出来ず、30の時に自販機のルートセールスの仕事に就いた。初めの2年は通勤は1時間。比較的近場の営業所で営業所の売り上げも黒字、僕も営業所内では売り上げ二位を維持していた。その時は仕事も比較的楽ではなかったが、お客さんとの信頼も厚くやりがいがあった。

リーマンショック。それが人生を大きく変えた。


世界を混乱させたリーマンショック。親会社が投資を失敗し、その尻拭い的に当時の社長が辞任、新社長に変わり、組織編成で現事業所は閉鎖。僕達は県境の営業所に全員飛ばされた。通勤に2時間半。今までの営業所だったら、朝8時に出発して夜19時に営業所に帰って来れたのが夜21時に営業所に帰還。それから売り上げ集計と入力。トラックの空き缶ゴミを捨てて、ゴミの荷台掃除、運行帳簿を付け、明日のルートを確認。今日の入れた空き箱を捨てて、明日の分をトラックに積む。その他細かい仕事して大体2時間。普通でも23時には帰ることになる。

上司と同僚が辞める。その穴を僕が埋める。

僕は三人分の仕事を受け持つことになる。仕事は熾烈を極めた。毎日午前2時まで働いても手が回らず、休日出勤しても手が回らずにお客さんからお叱りを受けたり上層部から叱咤を受けてストレスばかり、睡眠も毎日三時間、眠気は薬局でカフェイン剤、頭痛は鎮痛剤、毎日ドリンク剤を飲んで仕事した。

血尿、そして倒れる。

忘れもしない11月の肌寒い日だった。トイレで小用をしたら鮮血のお小水。便器が血に染まった。直ぐに近くの内科に駆け込む。検査の結果、右腎臓が大きく腫れ上がって炎症をおこしていたらしい。しかし、仕事は容赦なく待ったなし。僕は上司に「医者に行かせて下さい」と懇願した。上司は「仕事の合間に行けばいい」・・・半日も空けられない状態でどうしろと。そして、配送の途中、僕は倒れた。トラックのハンドルに冷や汗がものすごい量垂れた。視界は霞み僕はコンビニの駐車場にやむなく止まった。呼吸が苦しい、会社に電話する。救急車で運ばれた。どうやら不整脈で倒れたそうな。会社に復帰したら上司の言葉は「うちで死んで貰っては困るから、辞めてくれ。」どの口が言うんだ!!

そして、僕は会社を辞めた。

乾電池みたいに使い倒して使えなくなったら捨てる。僕は会社を辞めれて、地獄から解放された気がした。その後工場勤務の派遣で働き、期間工に引き抜かれた。ところが、年末に呼吸が出来なくなる。年末、僕は座ってないと呼吸が困難となった。内科で薬を処方されてて飲んでいたが、もはや腎臓は手遅れだった。入院することになる。期間工も更新されず辞めることになる。親父の友人の紹介で、フォークリフトの仕事に就く。


しかし、再度勤務中に気を失う。


再度勤務中に気を失った。事務机に座ってる時だったから良かった。フォークリフト乗務中だったら、シャレにならなかった。即座に入院。


そして、医者に最後通告される。


医師に「直ぐに透析しましょう!」と言われる。完全に腎不全だそうだ。頭の中は真っ白になる。直ぐにシャント手術を受けて、透析が始まる。会社からは解雇される。

今は実家の手伝いしながら、療養している。

とりあえず僕の経験上。

もし、ブラック企業に勤めているなら、体潰される前に思いきって辞めた方が良い。心配しなくても次の方向性があるさ。



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