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右利きの自叙伝
私は左利きで昭和39年に生まれた。
当時左利きはかなり偏見の目で見られていた。
日本は右利き主流の国だったから、ほとんどの生活必需品は右利き用しかなかった。
特に文房具用品なんか右利き用しかなかった。
ハサミ、物差し、メジャー、ナイフ、三角定規、鉛筆削等々、左利きの生徒・学生が存在することを世間はあまり重要視していなかった。きっと学校に入学するまでには家庭で右利きを矯正するのは当たり前と思われていたのかもしれないから。
だから私も幼稚園生の時「字を書くときだけは右手を使いなさい。でも食べるときも、遊ぶときも、お尻を拭くときも左手を使っていいのよ」と母が言って調整したらしい。その少し極端な区別の仕方で字は無事に右手で書けるようになっていた。決して綺麗な字とは言えなかったけれど。
でも小学校に入学し『右』と『左』の違いは教室の前の黒板に書かれた『右』『左』の文字で完全に困惑してしまった。
入学したての小学1年の国語の授業。今でも教室の前の黒板の文字を思い出すことができるくらい。
女の先生が、「みんな、お箸を持つ手が右手です。みんな右手を上げてください」 もちろんみんな元気に『右手』 を上げた。そして私も元気に『左手』 を上げた。
でも先生は私をみて「それは違いますね、左手です。じゃあもう一度、みんなお箸を持つ手、右手を手をあげてください」私はまたしても左手を上げた。そしてまた注意をされた。 「お箸を持たない手は左手じゃなくて右。でも私はお箸を持つては左手・・・う〜ん、わからない」と困惑の中、でも先生の言うとうり、周りと同じようにお箸を持たない右手を上げた。
これが私の脳に重大な左右の混乱が生じた瞬間だった思う。
それをどう乗り越えていったのかは全く覚えていないけれど、先生からの助言もなかったのは確かだった。「お箸を持たないけどこっちが右で、お箸を持つけどこの手は左なんだ」
頭の中で右と左がスクランブル交差点状態になっていたことは確かだったと思う。
その後も学校生活の左手のおける苦労はあちこちに出ていた。工作の時間はハサミを持つと握り方が違うから、親指に跡ができるくらいに凹んで赤くなって痛かったし(左利き用のハサミなんか存在してなかった)線を引くのは左手でしかできなかったから、定規を当てても右手で線を真っ直ぐに引けない。定規も上が斜めになっていて鉛筆が置きやすいようになっていた。でも左にすると数字は逆だし、斜めは斜めじゃなくなる。
とにかく色々困難なことがわんさかあった。
それでもそんな環境にも慣れて頑張っていたんだと思う。
でも小学3年くらいだったか「左手で食ってる、汚ねえ〜」と同級生の男の子に言われたことがある。
なんで汚いのか意味がわからなかった。それからお弁当や給食の時間はなんとなく左手を隠しながら食べていたのかもしれない。それでも左手で食べることをやめたいと思わなかったし、恥ずかしいとも思わなかった。
ただ一つだけ左利きで寂しい思いをしたのは、毎年夏になると家族で泊まりがけで遊びに行っていた祖父(母の父)に、「まだ左手で食べてるのか」と言われたことだった。
好きだった祖父にそれを言われるのは、幼い私をかなり悲しい気持ちにさせた。でもその度に母は「いいのよ。そのままで」と言ってくれた。これは力強かった。
それからは左右をうまく使いこなし今に至る。
今も料理で包丁を使う時、切る時は左手、皮を剥くときは右手、鋏を使うときは左手。レストランでフォークとナイフを持つ時は持ち替える等々。そして上手く使い分けて生活し続けること55年程。
今はかなりもう両方使えるハサミや左利き用商品も沢山あって便利になった。左利きも増えて、矯正されることも少なくなって公に左利きを表現できるようになった証拠。良いことだ。
でもまだ時々残念なことには出会うけれど。例えば、内側に可愛い絵が描いてあって飲む時に見えるようになっているカップ。私は持つ手が逆だから見えないとか、素敵なバターナイフは右利き用だけだったり。
そして私はいまだに左右を間違えてしまう時がある。
特に道の説明をする時と車の助手席に乗っている時。
それを知っている家族や友人は、私が言った後で再度確認するのが習慣になっている。「右?左? どっち?」
「左って事は本当は右に曲がるのね?」と。 今では私こそが周りを困惑させ時がある。
でも長年付き合ってきたこの左利きには愛着がある。周りを惑わす時もあるけれど、これからも右手でじゃがいもの皮を剥き、左手でそれを切る作業を続け、左でハサミを使う生活を続けていきます。
周りとちょっと違うのは嬉しい、私です。