当時はかなり無謀な冒険だった『ワーキングホリデーでオーストラリアに行くぞ!』 の話 6
週末は人ではなく、ゴミが風に舞う
日曜日の朝、7時ごろにメルボルンに到着したと思う。
でも当時週末はどこのお店も開いていなかった。
確か土曜日は1時ごろで閉店。大型デパートも。
日曜日はさらに映画館、スーパーマーケットくらいしか開いてなかったと思う。
日本のお正月くらいしかお店は閉まらない”時代”から来た私は、唖然としてしまった。
カルチャーショックとまではいかなかったけど、このやる気のなさ?すごい国だな・・・
それが第一印象のビクトリア州首都メルボルン1日目。
そんな週末を、みんなで海にいってバーベキュー=バービーしたり泳いだり、のんびり過ごすのが当たり前のメルボルンを徐々に全く抵抗なく受け入れて、日本からの解放感と自由を心から楽しめるようになっていった。
それが、日本脱出の理由だったし。
みんな同じじゃないと、ダメ。
人目を気にして自分の意見を表現したら、ダメ。
うんざりだった。
日本にいた時の私の魂は、いつもあのヘビメタの憤る叫び!
宿を求めて・・・
教えてもらった住所を頼りに、女子寮に行って向かってベルを鳴らしたら、日曜日だから受け入れてくれないし、部屋もないと言われて、「え、そんな・・・」。でも、彼女からのメッセージを伝えると、明日出直していらっしゃいと、部屋も一つ用意しておいてくれると。
一期一会とはまさにこれ。
とにかく節約一番だったけど、まずは今夜の宿探し。今回はYMCA(シンガポールはYMCAだった。私はクリスチャンではありません)ヴィクトリアマーケットが裏にあり、マーケットは閉まる寸前、一番安かった売れの残りの50セントのアルファルファーだけのサンドイッチを買い、部屋に戻り、シャワーを浴び、メルボルンの1日目が暮れていった・・・・