【クッソ初心者向け】新選組を0から学ぶ記事①
私がどれだけ幕末や明治維新近代史、そして新選組を愛し憧れているかは前回の記事を見れば一目でわかるだろう。
流石に登場人物全員が狂暴化してるようなこの時代で生活したくはないが!
しかし旅行記事は私の幕末愛が恐ろしいほど歪な形で文章化してしまい、京都旅行の熱が残ったままで終わってしまった。無秩序に絶え間ない熱情は時に火事の原因にもなろう。
今回から暫く、知識0の状態からでも見終える頃には新選組を知っているみたいな、そんな記事を面白おかしく書いていきたいと思う。
すべてのはじまり
すべての事の発端は黒船の来航だった。
私の住む神奈川の浦賀に出現した黒船(※アメリカの軍船)は、200年続いた江戸幕府の鎖国を解除し、武力で脅して貿易を始めようとしたのである。
日本は鎖国をしてたせいで、武器が古い。
おまけに江戸時代の歴史は調べれば調べるほど幕府と赤字との戦いにしかならいくらいで、金も力も薄れてボッロボロだったのである。
そりゃ、得体の知れない外国人がやってきて「貿易シナケレバ、撃チマース!」とか言うんだから従うしかないわけだ。
とにかくこれが、すべての始まりである。
悪いことだらけで草!
この恫喝貿易、何が1番悪いかって幕府の立場が圧倒的に舐めて見られてること。
そのおかげで、100円のものを10万円で買わされるみたいな不平等貿易が発生した。ん?幕府は今まで経済面で困ってなかったっけ?はい終わりでーす!(絶望)
結果から言うと超ド級の経済混乱が発生し、全国どこも生活が苦しくなってしまった。武士も町人も同様で、この怒りの捌け口が見つからない。
時の天皇も「朕は異黒人が日本を歩くことを好まぬ」と言っており、この言葉をバックに外国人を追っ払う「尊皇攘夷(天皇様の言うことは絶対。異黒人倒す)運動」が盛んになったのだ。
外国に舐められて、何も出来ない(しない)幕府への不満が高まりつつあったわけだZE☆
疫病も流行ってた!
あまりこれは教科書とかで触れられないが、当時の日本はこれに加えてコレラが大流行!
タイムスリップしてきた医者は残念ながら現れず、綾瀬はるかも居なかったのでどうしようもなかった。
内も外もボロボロなんだが、明日もわからぬこの時代を必死に生きている男たちがいた。
そろそろ時代背景は置いておいて、本題に入っていこう。
江戸・試衛館時代
東京の真ん中らへん。都営大江戸線「牛込柳町駅」の周辺に、今は碑しか立ってないが剣術道場があった。
"天然理心流"試衛館道場である。
現代も残る流派で、競技的な剣道とは少し異なって実戦的な技を身につけるものだった。戦を知らない百姓の間で流行した。
とは言えど当時の剣術と言えば"江戸三大道場"があまりに有名で、同時代最高峰の剣豪集団と言えばこちらに目が引かれる。
彼らからしてみれば田舎剣法と蔑まれるのも無理はない。
新選組のリーダーだった近藤勇は、この天然理心流を継いで日々汗を流し、不況による貧乏に苦しんでいた。
武州多摩郡の男たち
試衛館を継いだ近藤勇だが、産まれは武士ではなく百姓・宮川家の三男である(幼名は宮川勝五郎)。現在の東京都調布市で産まれた。
この時代、身分差別は残っているものの幕府の力が弱くなりすぎて「農民でも金持ってるやつは色々権利が貰える」という感じでちょっと偉い感じの百姓がいた。宮川家もそれである。
近藤は百姓の間で流行っている「天然理心流」に入門し、見込みがあったのか代々天然理心流を継ぐ近藤家の養子に迎えられた。若くして、道場の跡取りとなった。
大親友・土方歳三との出会い
後に近藤勇の生涯の盟友となる土方歳三とは、この道場主時代に知り合ったらしい。
土方歳三の姉の嫁ぎ先に「佐藤さん」という人がおり、この佐藤さんは天然理心流の門人であり、近藤とは義兄弟の契りを交わしている。
近藤と土方は、この佐藤さんを介して知り合ったのだろう。
さて土方歳三も、ちょっと偉い百姓の出である。こっちは東京都日野市出身で、現在日野は「新選組のふるさと」として例年多くのファンを集めている。おかげさまで新選組の元祖が日野だと誤解する都民も多くいるようで、調布市は日野市にやられた。
近藤勇のカリスマ性
新選組は近藤勇や土方歳三、あとは沖田総司などを主人公にしたストーリーが多い。吉村という謎の隊士を主人公にした有名な作品とかもあるが。(※筆者は浅田次郎の大ファンである)
しかし「新選組」そのものにスポットを当てると、それは狂言回しを軸に主役が入れ替わり物語が進むような群像劇となる。それだけ魅力的な人物(隊士)が多く、あちこちにスポットが当たりやすいのだ。
さて、試衛館には後に新選組の中核となる人物が、それぞれの理由で集まってくる。その多くは、「近藤という人間に心酔して」とドラマではよく語られる。
浪人がゴロゴロと道場に上がり込むなんて、どんなエピソードがあったのか妄想するお嬢さんたちも多いことだろう。筆者もである。
さいごに試衛館メンバーを軽くご紹介
新選組の江戸試衛館編は、近藤が跡を継いだ剣術道場に後の新選組幹部が集まってきて、そこで共同生活して時を過ごしていた。
深堀れはするが、初心者向けなのでそんくらいしかまとめようがない。
なので、その①の記事の最後に試衛館メンバーを紹介して終わりたいと思う。
沖田総司
オタクなら名前は一度くらい(以下略)。
年齢は近藤・土方の世代から一回り下で、身分は高くないが武士の息子である。父と母はおらず、姉とその姉の夫によって育てられたっぽい。
よくドラマでは「新選組最強」とか「剣豪」とか「達人」とか言われるが、味方どころか敵やアンチ新選組まで「あれは天才」と語っており、マジで強かったようだ。
ただし、教える方はめちゃくちゃ乱暴で指導者としてはイマイチだったとも語られる。
幼少期から可愛がられたのか、近藤や近藤の義父を自身の師匠として慕っていたらしい。
永倉新八
松前藩(北海道の南端)出身。神道無念流の達人で、剣術が好きすぎて脱藩した男。その後、何があったのか試衛館の食客になっている。
まぁまぁ脱藩している逸話通り根っからの剣術好きであり、神道無念流を極めていることから剣術の腕は抜群(沖田にはボコボコにされていたらしい)だった。
後の新選組隊士の中でも有数の実力者というイメージが強いが、たぶんこれも本当の話。なぜなら彼は、後の池田屋事件という凄まじい戦闘に参加した隊士の中で、大正時代まで生き延びた唯一の人物である。
原田左之助
四国・愛媛県の出身で、武士の使用人的なことをしていたが出奔。その後いつの間にか仲間になっていたタイプの人。例によってよく語られるが、槍の名手だったらしい。あと酒癖もかなり悪かったらしい。
山南敬助
仙台出身の人で、剣道経験者には特に著名な北辰一刀流の達人。あんまりイメージがないが、沖田や永倉に匹敵するクラスの剣豪だったとされる。
他流試合として試衛館を訪れ、近藤に敗れる。その後、その近藤に惚れてしまい門人として試衛館の仲間入りを果たした。天然理心流が名門を倒しちゃった。
知恵者、参謀的なポジションだったり、温厚な人のイメージが強い。実際、子ども好きなイケメンだったとか。カッケー。
藤堂平助
試衛館メンバーでは最年少。出身はよくわかっていないが、旗本(幕府の偉い人)の隠し子だったとか言われている。北辰一刀流の目録を得ている人物で、試衛館の他にも伊東道場(ここも後、新選組と関わる)に在籍したりしていた。
例の如くイケメンだったらしい。もう写真がない人は全員みんなのイメージの中ではイケメンだから別にいいんだが。
井上源三郎
ほかの食客とは異なり、近藤の兄弟子に当たる天然理心流の門人。沖田総司と関係性は近い。他の人物と比べ地味で、天然理心流の免許は持っているが取ったのは沖田より後だった。なお確か土方は持っていない。
無口な上に頑固者。絵にかいたような気難しそうなおじさんだが、若い隊士からはかなり慕われていて人気があった。比較的、若い隊士も話しかけやすい人柄だったのだろうか。まぁ他の幹部はみんな怖いけども。