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大相撲の黒幕?

渡邉恒雄が死去した。巨人オーナー、政界の黒幕などといわれた存在。

かつてはどの世界にも黒幕的な存在があった。というより魑魅魍魎とした世界、別の見方をするとこういった人間が橋渡しすることで上手く収まっていたともいえる。政界にしても一癖も二癖もある人間ばかりだった。そこいくと今は養殖の鮎がうようよと。あるいはひ弱な鮎か金魚か。これも横審委員を長く務めた議員の言葉だったか…

当時の自民党実力者であった大野伴睦の番記者として可愛がられ頭角を現したという。その後中曽根康弘の盟友として盤石の地位に登った。さらには巨人オーナーを通じて各界に影響を及ぼし、98歳の今まで主筆の地位にあり続けた。

横綱審議委員会の委員も長く務める。新聞社のトップの就任が多いが、これは言論統制のためとか。しかし近年はとても抑えきれてると言い難い。なし崩し的な相撲協会と同様だ。どれほど効果ある?

負越した若乃花を会合に呼び謝罪させるなど、強権もあったものの、横綱昇進基準を「2場所だけで決めるのはおかしい」、進退について「自信がないなら自ら決して」、「人気回復には英雄が必要」とよくよくみると同意できる発言もちらほら。今の時代多少の強権はあったほうがいいのかも。ともかく傑物、というより俗物?であることに間違いはない。

もっとも若乃花負け越しの際も紛糾した。当時の委員は一力一夫、渡辺襄、平井義一、川崎春彦、三重野康、渡辺恒雄、大島宏彦、海老沢勝二の8氏。休場勧告に収まったが、平井氏は引退を主張し退席するなど、現在と比較し一言居士的人物が多く目立った存在だった。

相撲の黒幕にもいろいろ。昭和7年の春秋園事件は、立ち上げ段階で茂木久平という東京市会議員を務めた人物が後援し、その後は関東国粋会の面々が裏で奔走していた。大関の武蔵山が突如新興力士団から脱退し、ボクシング転向に動いたのも国粋会の斡旋によるもの。武蔵山はゴタゴタに振り回され結局帰参したものの、以降の土俵は暗い影を落としたまま終わった。

大正の関東大震災の国技館焼失。この再建、さらに財団法人化、大阪協会との統合も、天下の浪人杉山茂丸の働きが大きい。青年期の年寄春日野(元行司木村宗四郎)との関わりに始まるもので、当人によると入幕前の常陸山に対し、相撲道について説いたともいう。常陸山の考え、相撲哲学がに影響を及ぼしているとすれば計り知れないが…

頭山満。右翼の大物。国粋会顧問でもあり、力士の断髪式にもたびたび名前が出た。 天竜らが率いた関西角力協会が苦境に陥った際、天竜と会談し相撲協会との仲介を依頼し復帰の橋渡しを行った。

昭和17年には頭山満の米寿を記念した祝賀相撲も行われた。この花相撲、結びは双葉山が安芸ノ海に打っ棄りで勝利。

双葉山の「我未だ木鶏足りえず」。発案といわれる安岡正篤も政界の大物。いずれも人物像が今一つはっきりしないのも一つ不気味である。やはり妖怪?

韓国のユン大統領の戒厳令。独裁ともいわれるが、戒厳とはそもそも国の立法・司法・行政の一部又は全部を軍に移管させることである。通常の民事法・刑事法の適用は一部または全部停止され軍法による統治が行われる。いわば大統領下にある軍のコントロールということ。

日本にも戒厳令があった。1947年の日本国憲法制定で廃止。緊急事態、防衛出動といった似た措置もあるが意味は違う。帝国憲法では「天皇は戒厳を宣告す。戒厳の要件及効力は法律を以て之を定む」とあった。天皇に主権がある。臨戦地境(警備を要する地域であり、軍事関係の事件を、地方行政や司法事務が地域の軍司令官の管掌に)、合囲地境(敵に包囲か攻撃を受けている地域、行政や司法事務が軍司令官の管掌に)の二つに分けられる。合囲地境は一度も例がなかったという。

憲法改正論では国家緊急権、強制力をもつ緊急事態法の制定も議論されていいる。韓国の戒厳令はさほど大きなニュースではなかったが、本来は大事。


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