談志一代記つづき。かなり間が空いてしまった。ともかく小さん門下に入り落語家の第一歩を踏み出した。まずは名前の話で。
当時は落語家自体少ないせいかシンプルな名前が多い。今は前座名からインパクトあることも多い。名前を覚えてもらえるのは得だが芸がまずいとかえってマイナスではないか。難しいところ。
前座修行は小さんの家が狭いこともあって通いだった。当時小さん夫婦に現小さんと長女の喜美、師匠の母で5人。さらに二谷さんという権太楼を一時継いだことのある落語家の弟が大家でいっしょに住んでいたというから6人。これ以上は無理だった。前座時代は
談志の人間観が出ている。ぶつかった小さんはじめ多くの芸人とは重なっており、ある意味仲間なのだろう。談志が重ならなかった人間も気になるが。つばめについては
つばめは小さん門下ながら新作落語で頭角を現した人。真打ちが同時だけに印象が深いのだろう。談志並みに著書もあり才気があったようだが、佐藤栄作の正体という自作噺をテレビで披露し官邸からクレームがついたという。談志は別著で教え子を奥さんにして真面目そうなのにひどい奴だと貶していた記憶もある。しかし師匠といっても直言する性格が小さんに気に入られ、将来幹部格になるのは確実だったようだが46歳で肝硬変で亡くなる。今の落語界で名人格の柳家権太楼ははこの人の弟子だった。存命ならばどんなことになったか。
入門当時落語協会は総勢27人。芸術協会とて似たようなものだった。しかし暇かというと
いつの時代も今の若いのはとなる。前座としては若いながら器用にこなしていたようだ。2人で打つ二番太鼓も一人で打っていたという。つづく。