平幕で終わった優勝力士
徳勝龍が引退した。かつては風貌よりミニ千代大海など言われていた記憶がある。思えばその千代大海の引退した年齢を4つも超えていた。
何といっても一世一代の土俵は2020初の優勝だろう。幕尻で十両からの再入幕での優勝は初。終盤の突き落とし連発は神懸かりであった。
最高位は前頭2枚目。幕内優勝経験ながら平幕で終わった。これは過去1例あり大正15夏に10勝1敗で優勝の大蛇山。徳勝龍の場合は晩年の優勝だけに平幕で終わったという印象は薄い。むしろ次場所に金星獲得などそれ以前に24場所の幕内経験ながら全盛のようにも思えた。ここでは大蛇山がなぜ平幕で終わったか見てみたい。
大蛇山は明治30年秋田県の生まれ。大正5春に初土俵を踏み、軽量ながら足腰の強さと前捌きの上手さ、投げや寄りもある機敏な相撲ぶりで順調に昇進。各段1場所ペースで序ノ口から7場所目に十両、十両では若干苦戦したが大正12夏に入幕。いきなり9勝1敗1分で優勝旗手(当時平幕での最優秀成績者に与えられる権利で優勝並みの名誉だった)となる。
その後は平幕上位を常ノ花戦の金星はあるが一進一退。突如大正15夏に優勝となる。この場所は常ノ花全休で敵方(東)は不振が多かった。味方の大関の太刀光は出羽ヶ嶽の鯖折りに負傷し再起不能、その後すぐ引退している。初日に3場所後に大関となる常陸岩を破ったのが好スタートになったようだ。その後玉錦や新海も破り白岩に敗れただけの1敗で優勝となった。横綱西ノ海や小結小野川(のち豊國)も2敗だったが運も味方したといえる。いわば時代の過渡期だったか。その後の成績を一覧にした。
優勝以後はそれほど目立つ成績はない。しかし奇妙にも勝ち越すと番付を落とし負越すと上昇するという意味不明状態。これは当時東京場所と地方場所で別の編成をしたためである。太字が東京場所だが1場所おきに見ると合点がいく。この方法は混乱が多く2年で廃止となった。さらに東西制の優位も重なっている。東西の勝ち点を記したが、好調時に自分の方屋が敗北という場所もある。三役のチャンスがあったのは昭和3年頃までだが、このように自身の成績のみならず当時の番付編成などが作用したのは不遇であった。
振り返ると徳勝龍とはかなり事情の違う事例だった。徳勝龍の場合は横綱大関の休場や陥落など世代の間で輝いたベテランの優勝だった。これも運が味方したのか。
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