顕彰に見る落語界
五街道雲助が人間国宝になった。雲助はこれまで紫綬褒章、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しいわば時代の第一線を走る落語家の認定をされていたと考える。こういった顕彰は野暮とはいえある程度の指標にはなる。余談だが談志は晩年雲助を「江戸の風を感じる噺家」と評していた。弟子の白酒には「雲助の弟子か、ふーん」という反応だったとか。何か雲助に特別なものを感じたのか。慧眼?
ここで気になるのは各落語家がどのような顕彰をされたかということ。紫綬褒章は1955年に制定されたが落語家の顕彰第一号は桂文楽で、1961年に紫綬褒章、1964年に勲四等瑞宝章を受けている。まさに落語界のトップであった。続くのが古今亭志ん生で1964年紫綬褒章、1967年勲四等瑞宝章。芸術祭も1954年の文楽「素人鰻」が初で、1956年に志ん生「お直し」が続いた。以後は多数の落語家が受賞してるので割愛する。
紫綬褒章を受けた落語家を一覧にすると
芸術選奨は
概ね同じ落語家だが疑問もある。
芸術選奨は1967年創設のため文楽や志ん生は外れたのだろうが、小さんが未受賞なのは意外である。また早逝もあるだろうが志ん朝が紫綬褒章を受章していない。また紫綬褒章は60代半ばの受賞が多く落語家としてのピークといえるが、芸術選奨は受賞年齢に波があり志の輔や市馬は早いとも感じる。さらに芸術選奨は上方は米朝は文句なしとしても三枝、文珍、染丸、ざこば、鶴瓶、南光というのはどうか。異論や不満もあるだろう。それ以上に米朝の後25年以上上方からの受賞はなく、紫綬褒章受章の四天王等(松鶴、文枝、春団治、五郎)がいずれも未受賞なのは改めてみると驚く。東京も落語協会の会長だった圓歌、馬風や幹部の金馬、芸術協会の柳昇もいずれにも名前がない。さらに芸風からみると意外性もないが談志の名前もなく、立川流は適齢期の落語家がいないのもあるが現在は志の輔のみである。近年も一朝が芸術選奨、小朝が紫綬褒章と同門で分かれている。人気面も重視したのか芸の力なのか基準がよく分からない。
さらに知名度では抜群の笑点メンバーは歌丸が芸術選奨を受賞したのみで円楽(5代・6代)、木久扇、小遊三、好楽といったところは紫綬褒章すらない。紫綬褒章は同業者などの推薦によるものが全く話がないのだろうか。
ちなみに芸術選奨の新人賞を受賞し文部科学大臣賞も受賞したのは現在の所志ん朝、小三治、染丸のみのようだ。馬生枝雀吉朝など早逝した人もおり健在であれば受賞可能性は高かっただろう。この点落語という芸が晩成型であることも理解できる。
さらに勲四等瑞宝章や旭日小綬章を見ると
こちらは70代中盤が受章年齢として固まっている。上2つに名のなかった今輔や円楽を含め三派の協会の会長がほとんどである。芸力よりも団体代表としての功績が大なのだろう。おおむね数年間隔で受章していたが桂文枝を最後に止まっているようだ。さん喬雲助権太楼は適齢期と思われるが会長職の経験がないのが大きいか?今後市馬や昇太、正蔵が候補となってくるのだろうか。
振り返るといずれも賞の性格が異なり受賞者が意外とばらついた。何を選考基準としているかもよく分からない点もあり、特に上方の場合は正直意外な落語家も受賞していた。芸術選奨は受賞年の業績を対象とはいえ、実際は(特に大臣賞)これまでの活動を総括して評価する場合が多い。落語界に限ると賞の性格が固定されたのは比較的近年と思われ、この10年程はさほど疑問を感じないがそれでもこの人は如何かと考える場合もある。今後も注目していきたい。