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ないものねだり

友達から言われて
今でも覚えてて、自分の戒めみたいにしている言葉がある


「人間みんなないものねだり」


その友達は小学生の時に出会い
4人グループでいつも遊んでいて
秘密基地を作ったり
お菓子を持ってピクニックをする
「オカピク」といものを命名して
よくあそんでいた
しかし、中学から引越しをして別の中学へ行ってしまった


その当時、携帯電話も持っていなかったので連絡手段は手紙だった
手紙交換をしたり
誕生日にはプレゼントを送ったりしていた


高校生になっても大学生になっても
たまーに会って遊んでいた


私が大学生の時、彼女は社会人になった


京都の会社だが、
全国に名前が知られている
かなりの大手の会社だった

久しぶりに会うと
変わらずとてもハツラツとして元気な姿に
ホッとするし、こちらも元気を貰えていた


話をしていると
社会人になって仕事もバリバリ
プライベートでは仲の良い友達とオールして遊んでいるみたいで、
とても充実してそうに見えた。


私は何もやりたい事が見つからずぼんやり大学生活を送っている事に悲観し、
やりたい事を見つけてバリバリ働き
プライベートでも充実している姿がとても羨ましかった


その事を伝えると
彼女からすれば大学生の私が羨ましいみたいだった
自分も大学生になって学祭など大学ライフを送ってみたかったと


そんな時に彼女が
「でも結局、人間ないものねだりやからね」


と言った言葉がとても自分の中で衝撃だったし、戒めにもなった


私はどうしても人と比べてしまう事がある
自分なんて
他の人に比べてたら全然出来てない
他の人が羨ましい


でも、そう思っている状況は
他人からみれば羨ましい事なのかもしれない
そこまで悲観しなくてもいいのかも
どっちの道を選んでも後悔もあるし楽しいこともある


どちらでも結局
他人が羨ましくなるのだ
それが人間なのだ


そう思えるようになった


ここ最近
なんで自分はいつもこうなんだ
自分ばかりなんでこうなるんだと悲観したりしていたが
ふと友達の言葉を思い出した
「人間みんな無いものねだり」


ただ自分は無いものねだりしているだけだと
我に返る


少し話はかわるが
ロザンの楽屋というYouTubeでも


同じ敵が出来ると手を取り前をみる
今のウクライナでもロシアと言う敵に国民全員が前を見てる
でも平和な日本では横を見てしまうらしい


横同士で
比較をしたり、批判したり、羨ましがったり


とても大きな有事がない日本だからこそ
周りが気になり比較したりしてしまう


平和だからこそ


平和な国に産まれている事というだけで
幸せなのだと忘れてしまう



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