愛する人を奪われた者たちは「kuroyuri(クロユリ)」の名を知る 八話「切望」

閑静な住宅街。

その日は、朝から雨だった。
そのため、雨音以外は聞こえず、いつにも増して静けさを保っていた。

「もう、そうなのよ。結菜ったら、私のすること何でもマネして。賢くなっていくのはいいんだけどね、ちょっと目を離すとたーいへん。この前も、母さんからの荷物が届いた時そばで見ていたから、インターホンが鳴るたびに自分で出ようとするのよ」

「久地(くじ)」と、表札があるブロック塀に囲まれたその洋風な家は、玄関を入ると二階へと続く廊下。
その途中の右手、奥にテレビとテーブルが置いてある、ダイニングを兼ねたリビングがあった。
そして、そこから物干しを兼ねた庭に出入りすることができた。
そのリビングで走り回っている結菜と、実家の母親に子機で電話をしている沙織の姿があった。
母娘、よく似た花柄のワンピースを着てくつろいでいた。

「ピンポーン!」

インターホンが鳴ると同時に、玄関の方に結菜が走って行く。

「ばあちゃん、おにもつ。ばあちゃん、おにもつ」

結菜の行動に慌て、沙織は耳から子機を離して結菜を呼んだ。

「今、ママが行くから。勝手に出ちゃダメよ」

結菜は沙織の言うことも聞かず、はしゃぎながら玄関の鍵を開け訪問者を入れようとしている。

「ごめんね、母さん。誰か来たみたい。また電話する」

沙織は急いで電話を切り、玄関に向かった。

「ママ! この人おにもつ、もってないよ」

そこには、ジーパンにスニーカー。
白のパーカーでフードをかぶり、ずぶ濡れになった男が立っていった。
そして、パーカーのポケットに入れていた右手を出し、所持していたサバイバルナイフを見せ付けた。
見たことのにない母親の表情に、結菜も何かを察したようだった。
その男は、無言のまま土足で上がろうとした。

「結菜、こっち!」

沙織は身の危険を感じ、結菜を呼び寄せ自分の後ろに隠した。
一触即発の緊張が続く家の中は、雨が降る音だけが響いていた。
男は濡れたパーカーから滴を垂らしながら、徐々に間を詰めて行く。

「結菜、二階に隠れていなさい!」

その言葉を皮切りに、男がサバイバルナイフを振り上げてきた。
男の攻撃から娘を守ろうとする沙織。
それを見て泣き出す結菜。

「何やってんのよ! 早く行きなさい!」

体に傷を負いながら、必死で自分を守ろうとしている母親の姿を見て、結菜は泣きながら二階へと走って行った。
沙織の強さを見た男は、不適な笑みを浮かべた。

「ウオォー! 皆殺しだ!」

男は、結菜の行く先をちらりと見て居場所を確認した。

「娘には……、結菜には、指一本触れさせないからね!」

ナイフをもった凶暴な男の前でも、母親の偉大な力は屈することはなかった。
男に胸倉をつかまれ、リビングへと追いやられていく沙織。
リビングで沙織を放し、男は少し離れて二、三回深呼吸した。
倒れている沙織は、周りを見渡し考えられる全ての方法を探した。

「みんな、みんな、死ねばいい!」

男がナイフを振り上げ、その行く先を沙織の胸に定めた。
沙織は、結菜のことを思いながらも覚悟した。

「ガチッ!!」

部屋の中に響いたその音は、沙織が今まで聞いた中で一番強いものだった。

「俺は……貴様が今日、ここへやって来るのをずっと前から知っていた」

男の後ろには、その時間、会社にいる筈の誠(シラハ)が立っていた。
その姿は、黒い髪に細いフレームのメガネをかけスーツ姿だが、不思議なことにどこも濡れてはいなかった。

「誠、誠!」

誠(まこと)の姿を見て安心した沙織は、一気に緊張感が解れ大声で泣き始めた。
誠は、男の右腕を強く握り締めたまま沙織に指示を出す。

「沙織、沙織! しっかりしろ!泣いている場合じゃないぞ。君も、そこにある子機を持って結菜が待つ二階へ行くんだ!」

すでに、結菜の居場所を知っていた誠の言葉を不思議に思いながらも、沙織は徐々に冷静さを取り戻していく。

「そして、急いで警察を呼ぶんだ!わかったね」

男の力は予想以上で、誠の手を振り払おうとしている。

「わ、わかったは誠。でも、あなたはどうするの?」
「俺は、コイツをそこから一旦外に出して、警察が来るまで時間を稼ぐ」

そういうと、リビングから窓越しの景色を見た。
外は雨脚を増していた。

「わかった……。誠、無茶しないでね」

誠は、男の腕をさらに強く握り締め、徐々に窓の方へ向かっていく。

「……大丈夫、心配するな。俺は、いつでも沙織たちのことを見守っているから。さあ、早く結菜の所へ!」

誠の声が震えていた
そして沙織には、それが遺言のように聞こえた。

その数十分後――。

降りしきる雨の中、誠は、庭先で男のもみ合う形で発見された。
そこには、いつまでも流れ切ることない血の海が広がっていた。

それから、数ヶ月後のある日。
澄み切った空の下、沙織と娘の結菜は、家の近くを散歩していた。
二人とも、麦わら帽子に白のワンピース姿だった。
そこに、誠(シラハ)の姿はなかった。

「ねえ、ママ?」
「なーに、結菜?」
「パパは、パパはどこへいっちゃったの?」

あの事件の後、結菜が沙織に何度も聞いてくる定番の質問だった。
沙織はいつもどおり、考えたフリをして空を見上げた。
      
「そうね……」

そんな沙織たちに、向こうから二人女子高生が楽しそうに話しながら近づいてきていた。
沙織は彼女たちの制服姿見て、当時の自分の姿に重ねていた。
その視線を感じた髪を長く伸ばした方の女子高生が、沙織を見た。

「あれっ、私?」

お互いが、聞こえないくらいの小さい声で呟いた。

「どうかしたの、莉子?」

夏らしく、短く髪を切った親友の沢井絢も、莉子の視線の先を見た。
二人は、沙織が莉子に似ているかどうかの話題で盛り上がりながら、通り過ぎて行った。
夏服から伸びる莉子の腕に、包帯はなかった。

「ねえ、パパは、パパは?」

結菜の定番の質問は続いていた。
沙織は改めて空を見た。

「パパは、結菜とママのことをお空から、いつでも見守っていてくれてるって」

その様子を、高台からアリーシアが見ていた。

アリーシアは、はめていたシルバーブレスレットの先についた鞘に収められた剣を模(かたど)ったチャームを引きちぎり、それを本物の長く黒い剣に変えた。

「シラハ、見てみな。お前が命をかけて守った家族だよ」

アリーシアは、鞘に収められたその黒い剣を横に持ちしばらくの間、沙織たちの方に向けていた。
そしてその後、その場で跪(ひざまず)いたままずっと、その黒い剣に頬を寄せていた。

                             【END】

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