縺合のシュレーディンガー 5話「羽ばたけ、青い鳥」

辺りがすっかり暗くなっていた、島内の南部にある簡易用の議員宿舎。

火桐は戻ってきた二人の男の言葉が気になり、再び、研究施設へ向かおうと玄関先に車を待たせてあった。

「こんな悪天候の中、どこへ行かれるというのですか!」

火桐の突然の行動に、困惑しながら身支度をする秘書。

「我々の邪魔をする、悪霊を退治しに行く!」

火桐は明かりを消し、足早にリビングを出て玄関で靴を履き始めた。
その時、何か得たいの知れないもの存在に気づく。

「……おい、さっきここに誰か来たか?」

火桐は、共に急いで靴を履いている秘書に聞いてみた。

「いいえ。先程、研究施設内の報告を受けてからは誰も」 
 
納得のいかない火桐。

雨脚が強まる中、秘書と共に車の後部座席へ乗り込み、研究所へ向かおうとした。
火桐は、異様な気配に駆られ雨が叩きつける車の窓越しから自分がいたリビングを見た。
消したはずの明かりがついており、ソファには人らしきものが腰掛けているのを目にした。
火桐は、秘書にはその場で待機するよう指示し、自分は降りしきる雨も物ともせず、飛び降りるようにして別荘へ舞い戻った。

全身、ずぶ濡れなのも構わず、土足のまま上がりリビングへ向かう火桐。
リビングに到着すると、そこにはソファにふんぞり返っているゼノンがいた。

「お早い、お戻りで」 

雨水が滴り続ける両拳を、火桐は力の限り握り締めた。

「……お前が、悪霊の正体か!!」

ソファから立ち上がり、火桐の前に立ち塞がるゼノン。

「……そうだ。俺は、滝博士の意思を受け継ぐ者。そして、お前を倒すために作られた者だ!」

ゼノンの言葉に応答せず、火桐はずっとうつむいていた。

「……渡さん。誰にも渡さん。シュレーディンガーは私のものだ!」

火桐は、懐から銃を取り出し、倒れ込みながらゼノン目掛けて、乱射した。

ゼノンは火桐の銃弾をあえて消し去ろうとはせず、全て避けてみせた。
その避けられた弾は、ソファや壁などに撃ち込まれた。

火桐の行為に、ゼノンは悲しげな顔をした。

「……無意味だ。俺はこれ以上の争いを望まん」

うつ伏せになって倒れながら、突然、笑い出す火桐。

「……準備完了だ。これでお前は、ただの塊だ」 
 
火桐が放った銃弾から電波が発信され、ゼノンの動きが封じられた。

「な、何なんだ!一体何が起こったというのだ」
  
火桐、スーツの内ポケットから小さなリモコンをだしながら、何もできなくなったゼノンにゆっくりと近づいて行く。

「滝のことだ、何かあると思ってコイツを準備しておいたのさ。さっきの銃弾は、ウィルスを発信させるためのものだ。これで、お前のシュレーディンガーの力に苦しめられなくて済む」
「……では!」
「当然、わかっていたよ。お前に物理攻撃が効かないことを」
「くそ!最初からそのつもりで」       
「シュレーディンガーと同じ、物質の素粒子化。それがお前の武器。だが、今のお前は、ただの塊に過ぎん。何も恐れることはない」

ずぶ濡れになった衣類を脱ぎ始め、着替えようとする火桐。

「長い道程だった……。今まで誰も成し得なかったことだ。あらゆる物質を素粒子のレベルまで分解し、それを粒子のもつれや左右の対称性を利用して別の場所へ移動する。これを応用すれば、人々の生活は一変し、日本がいや、世界が大きく発展していくことだろう」
「……そのために、人殺しがまかり通ってもいいというのか!」
「どの時代の、どんな発明でも、それに伴うリスクはごまんとあったはずだ。何かの犠牲なしに物事の発展はあり得ん!事実、我々はそういう積み重ねの上に生きているのだからな」
「……フン。何が世界のためだ。何が物事の発展だ。結局は、自分のためじゃないか」

火桐は、ゼノンを睨みつけた。

それに反応するかのように、ゼノンは滝の声を真似して火桐に言い放った。

「お前が、シュレーディンガーを握っている限り、そいつは正しい方向へは羽ばたいてくれん。そうだろう火桐よ」
  
火桐は滝の声を聞いて激怒した。

「クソじじい!俺の前に二度と現れるな!」

火桐は、持っていた小さなリモコンのボタンをゼノンに向けて力いっぱい押した。
ウィルスのレベルが上がり、ゼノンの体がねじられていく。

「うああぁ!」

その時、火桐の前を鳥のようなものが横切った。

飛んできた方向に、火桐が振り向く。

「何事だ!」

そこには、旋回して戻ってくる鳥形ロボットのブルーと玲子が、ずぶ濡れになりながらあとから中に入ってきていた。

「そ、そんなことでは、ゼノンは死なないわ」
「れ、玲子……。」

玲子は、シャツのポケットからディスクを出し、それをブルーの中に入れる。

「ブルー、これを持っていて。」

ブルーは静かにうなずいた。

「頼んだわよ……。」

リビングの窓を自ら開け、飛び立っていくブルー。

その様子を見ていたゼノンは、ことの成り行きを理解した。

ブルーによって少し開けられた窓から、強い雨風が入ってくるリビング。

そこで火桐は、玲子が何者であるか気づいた。

「……お前が、冴島か」
「火桐。さっき、あの鳥形ロボットに運ばせたのは、そこにいるゼノンや、あなたの大事なシュレーディンガーを破壊するためのプログラムよ」

玲子の言葉に、火桐は驚愕した。

「あの鳥は、私の言うことしか効かないわ。破壊を阻止して欲しければ、ゼノンを開放し、あなたの持っている保護プログラムのディスクをこちらに渡しなさい!」

驚きながらも、火桐は玲子の言葉を信じていなかった。

「それで、私を脅しているつもりかね?私同様、シュレーディンガーは君にとっても大事なものなんだろ。そう易々と、破壊するわけがない」
「信じないならいいわ。そこにいるゼノンがあなたの前から消えた瞬間、全てが終わるわ」

あまりにも冷静に話し続ける玲子に、火桐は動揺し始めた。

「……バ、バカな。破壊プログラム、そんなものどこに?」
「あ、あったんだよ。シュレーディンガー本体を作る時から……」

ウイルスに苦しめられながらも、一刻も早く火桐を信じさせキラープログラムの使用を阻止せんと、ゼノンも説得に当たった。

「……あなたが、滝博士を殺した時、勇気がなくて使えなかった。でも、今は違う。ゼノンに出会えたから、何も怖くはない。さあ、渡しなさいディスクを!」

火桐は少し考えた後、ソファーに掛けてあった上着のポケットから保護プログラムのディスクを取り出す。

「それを、こちらに投げなさい」  

言われたとおり、玲子の方にディスクを投げる火桐。

玲子の近くに落ちるディスク。

火桐を牽制(けんせい)しながら、ディスクを拾おうとする玲子。

「お前の思い通りに、なるとでも思ったか!」
  
火桐はディスクを拾おうとする玲子の上に、馬乗りになった。

「あの鳥に、早く、早く命令しろ!」

玲子は、抵抗もせず体の力を抜いていた。

「……もう手遅れよ。最初から、止めることなどできなかったの」

玲子の言葉を聞いて、火桐は気が触れてしまった。

「なめやがって、この尼(あま)がぁー!」

火桐は再び懐から銃を取り出し、玲子に一発放った。

そして、奇声を上げながら鳥の後を追おうと宿舎をを出て行った。

ウィルスから開放され、ゼノンは玲子に駆け寄った。

「れ、玲子……!」

玲子は意識が無くなっていく中でも、必死に喋ろうとしていた。

「……ごめんなさい。勝手なことして」
「……いや、これで良かったんだ」
「……でも、あなたも……」
「俺は、使命を受けて作られた。だから、それを果たさないと」

玲子はゼノンの言葉に小さくうなずいて、そのまま動かなくなってしまった。
自分の使命を果たすために、ゼノンは火桐を追いかけた。

研究所へと続く一本道。

台風が最接近する闇の中、先頭には鳥形ロボットのブルーが羽ばたいていた。

それを必死で追う、火桐を乗せた車。

さらに、その後を飛んで追いかけるゼノン。

ゼノンは、火桐の車に近づくと、最大の力で車ごと素粒子化させた。

「消えてなくなれー!」


「冴島さん、冴島さん。朝ですよ」

看護師がカーテンを開けると、病院の一室に朝日が差し込んだ。

シュレーディンガーの一件から数日後。

玲子は、パジャマ姿で病院のベッドの上にいた。
状況が飲み込めないながらも、ゆっくりと起き上がり、朝日が照らす方に目をやった。
そして、少し開けられた窓から入ってくるさわやかな風を感じた。
その窓の外には、一羽の青い鳥が自由に飛び回っていた。

            
                               【END】


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