縺合のシュレーディンガー 1話「嵐の始まり」
空を覆う黒い雲と、徐々に強さを増す風。
そんな台風が近づいている午後の離島。
その周りを旋回する、数機のヘリコプターの姿があった。
眼下には、島の南に港があり少し上って行くとといくつもの住宅。
中央には、高い塀で囲まれた研究所。
そして、北側は森林に囲まれていた。
「大きな被害にならなければいいが」
「そうですね。こんな時に限って多くの研究員は情報学研究所に行って島を離れていますし。何事もなく、通り過ぎてくれればいいですけど」
島に接近しつつある台風を心配する、滝(たき)と玲子(れいこ)。
二人が所属している『「QTL(量子テレポテーション研究所)」の施設全体は横長。
中央には、地下二階から地上五階まで設置してある二基の量子テレポテーション空間部を備えた「シュレーディンガー」があった。
向かって右が主にハードを担当する「開発部」となっており、互いの最上階からはガラス越しに「シュレーディンガー」を見ることができるようになっていた。
その三階にある指令管制室。
部屋の中には、量子コンピューターを制御するためのパソコンと資料が数え切れないほど置かれていた。
パソコンには、量子コンピューターや各種の研究データーが表示されており、その中の一つには、現在接近中の台風の情報も表示されていた。
同時刻。
サインプレートに『量子テレポテーション研究所 QTL』と書いてある正門。
そこへ黒い車が数台止まり、黒いスーツを着た男が数人降りてきた。
国会議員の火桐(ひとう)がそれに続く。
警備員が火桐の存在に気づき、守衛室から駆け寄ってきた。
「今日は、こんな天気ですし、どなたもいらっしゃらないと連絡を受けていますが」
「緊急の用だ」
「……ですが、ご承知のように、この施設はご連絡を受けていないと、たとえ火桐先生でもお入れすることはできないのですが……」
「許可書を持ってきた」
警備員に催促され、火桐は黒い皮の手袋を着けた手をスーツの胸元に入れ、何かを取り出そうとした。
警備員がそれを覗き込もうとした途端、大きな銃声とともに宙を舞った。
「ん?冴島(さえじま)君、今何か物音がしなかったかね」
「……いえ、何も聞こえませんけど」
運命の大きな歯車が、動き始めた。
その音は、指令管制室の中にいた滝と玲子にもハッキリと聞こえた。
計画通りに、研究施設の内部に侵入した火桐たちは、滝博士を探し始めた。
連れてきた男たちに大声で指示を出す火桐。
それに気づいた警備員や研究員たちが、慌しく走り回り、施設内部は騒然となった。
「博士……」
「間違いない。冴島君……」
「博士、わかってます」
「シュレーディンガー」を制御する量子コンピューターは地下二階あった。
玲子は、そこへつながるエレベーターのタッチ式カードキーを持って地下室に向かった。
途中、玲子は部屋の隅に置いてある鳥形ロボットに挨拶をした。
それと同じくらいに、別のエレベーターで二人の男たちと火桐が現れた。
地下室に向かうエレベーターの中。
玲子は一枚のディスク見つめながら、以前、博士から言われた言葉を思い出していた。
「冴島君。何かあったらこのディスクでシュレーディンガーを導いてやってくれ。例え、破壊してでも、この研究を守らねばならん」
指令管制室。
パソコンの駆動音だけが聞こえる中、整髪料でオールバックにした火桐と、ロマンスグレーだがボサボサ頭の滝という対照的な二人がにらみ合っていた。
「博士、お久しぶりです」
「これは、一体なんの真似だ!」
一緒にいる男たちは、滝に銃口を向けている。
「博士も人が悪い。我々に内緒でシュレーディンガーを封印しようとするなんて」
「火桐。お前の考えなど初めからわかっておった。だから、私はこの開発と研究が始まった時からこの時のために、こいつを用意していたのだ」
滝、白衣のポケットの中から一枚のディスクを出した。
「なるほど。それが我々にシュレーディンガーを使わせない切り札ですか。博士、あなたはご自分が、何様のつもりでいるのですか。この研究は、あなたのものではない!」
滝は、火桐の言葉に一呼吸置いて話した。
「もちろん、貴様のものでもない。この開発、研究は、国の発展のためにと国家プロジェクトとして始められものだ。……だが、蓋(ふた)を開けてみれば予相以上に膨らんでいく研究費。我々、研究するものの願いも空しく一時は断念せざる終えなかった」
今度は、火桐が一呼吸置いた。
「……しかし、こうやって研究は続いている」
「……貴様のためにな。打ち切られそうなると知り、あらゆるところに手を回し強引に予算委員会を通過させ続けた」
「博士、私ばかり悪者呼ばわりしないで下さい。あなたも楽しんだはずだ。この研究を」
「火桐、きさま!」
「目的が違っても、目指すものは同じです。さあ、それをこちらへ」
「……貴様には、渡さん!」
火桐は、強がっている滝を見て不適な笑みを浮かべた。
「強がっていられるのも、今のうちですよ。あなたの可愛がっている大事な助手さんがどうなってもいいのですか?」
「さ、冴島君は関係ない!彼女を巻き込むのはよせ!」
「それは、あなた次第です」
「……わかった。だが、その前に彼女と連絡をとらせてくれ」
「……いいでしょう。だが、下手な真似をしてみろ、ただでは済ませんぞ」
滝は、部屋の中にある連絡用のマイクを使い研究施設全体に放送を流した。
「冴島君、聞こえるか。今夜は嵐が近づいている。何かある前に、安全な所に避難しなさい」
同時刻。
量子コンピューターに直結している地下二階。
室内全体が計器類で覆われており、中央にディスクの挿入口があった。
玲子は、白衣のポケットに片手を入れたまま、滝が流した放送を聞いていた。
「博士……。やっぱり、これを使わなければいけないのですね」
冴子は、白衣のポケットに入れていた片手を出した。その手には、一枚のディスクが握られていた。
指令管制室の中。
玲子が聞き終えたと同時に、滝はうなだれながら、火桐にディスクを差した。
「それでいいのですよ。かわいい助手のためには、命を張らなければならん!」
滝に向かって、二人の男の銃口から火が吹いた。
「火桐、きさま!」
その場に崩れる滝。
「あなたは、私のシュレーディンガーをここまでよく育ててくれた。感謝してますよ」
火桐は、滝から受け取ったディスクを近くのパソコンで確認した。
「……間違いない。保護プログラムだ」
ディスクを抜き取り、連れて来た男に手渡す火桐。
「パスワードを変更しておけ」
二人の男が先に部屋を出て行った。
息絶えようとしている滝。
最後の力を振り絞って遺言を残そうとした。
「シュレーディンガーは化け物だ。お前では、操り切れん……」
火桐は、痕跡が残っていないか辺りを確認している。
「ご忠告どうも。そうやって、あの世でも、かわいい助手さんにご指導してやってください」
火桐は持っていた銃で、滝に止めを刺した。
そして、もう一度部屋の中を見渡し出て行った。
それと同時に、保護プログラムを起動させたことによって、「シュレーディンガー」の防衛プログラムが連動し始めた。
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