ひとことはなし5
2022年4月25日
その後、瓦工事をどこで頼むか、という事で随分悩みました。
で、ある方を思い出したので、その人に相談した。すると
「連山の瓦をやるなら、腕の良い職人しかダメだろう」と、その方が太鼓判を押して紹介してくれたのが、今工事をしてくれている職人集団なのです。
福山の瓦屋なのですが、連日遠いところから来てくれます。
最初「え、福山?遠いなあ」と思いました。
岡山県内に瓦屋は一定数あると思いますが、なぜ福山の瓦屋さんと縁ができたのか不思議に思いました。
そこで考えた結果
「そういえば、連山は福山に縁があるな」と。その意味は、連山初代会長様は当時、広島県にあった「宣教所」の事情整理に行くように、と、時の上級会長様より任命され、その宣教所の二代宣教所長に就任されました。
その後、そこは後任所長も決まったので、初代会長様は、その場を引かれます。
その後、布教地に定められた土地が「福山」でありました。
なぜ福山で布教をされたのかは分かりません。が、確かに種はまかれていた、という訳です。
もう一つあります。
先にもお話した「宣教所」ですが、後任所長が決まりました。その後「00宣教所」という名称を改め「00分教会」となりました。
で、今回僕が瓦工事をどこに頼むかを相談した方というのが、この00分教会の会長さんでした。
なぜならこの方、以前は瓦職人だったからです。初代会長様がまかれた種は、今こうして稔ってきているんだなあ、と改めて思いました。
「巻いたる種はみなはえる」と神様は仰せ。
最後に、連山のこの建物のふしん完了は大正8年です。この大正8年というのは、実は、初代会長様が、ここ、連島の地でボロ小屋を借りて布教を開始された年なのです。
想像するに初代様は、この建物の前を行き来されたと思います。それを横目に見ながら「立派な邸宅じゃなー」と、息を飲んだのではないかと。
後年、この建物が連山分教会になろうとは、その当時の初代様は夢にも思われなかったと思います。
大正8年から連島布教開始。
大正15年には「連島宣教所」現、連山分教会が設立されました。
たった7年間でです。凄すぎますね。
それまでの親孝行の理が吹いたのでしょうね。
終わり。