178 誰がたすけたのか のお話
ひとことはなし 日付なし
神様はある
という事を具体的な形でお伝えしたいと思う中で、
過去の記憶を辿ります。
先日お話をしたように、
身体の左側が病気だらけなのです。
この身体で、
よく今日の日まで生かせて頂いたとな。
と。
若い頃はこう考えていました。
自分は病気だらけだから
30才までは生きれないだろう。
そういう考えなので、
若い頃から落ち着きがあるようでした。
これは人の評価。
本人はまるで反対。
自分の持つ病気との戦いでした。
とりわけ、20才の時の病気が僕の将来を決定付けました。
当時、天理の学生でした。
この学校の体制を1年生の時、猛批判。
先輩が上に4学年もあり厳しい学校でしたが、
怖いものなし。
「なんならやってやろうか」
と言う始末。
ある先輩が僕を見るなり、
「今日は不足してないのか?」
そんな野郎でした。
で、遂にこの学校を辞めよう。
と決めた朝、僕は意識を失い倒れました。
9月14日でした。
気がつくと保健室で寝ていました。
病院へ行くと、お医者さんが、
「この病気は治らないよ。薬は出すけど気休めだ。
今から君にいくつかの制約を教えるから守りなさい。
そうしないと危ないよ」
それを聞く最中から腹が立つ。
そんなのこの若さで守れるかと。
もうヤケクソ。
「生きるのをやめよう」
と決意して、最後の神殿参拝。
親神様に事の由を申し上げ、
次におやさまの所へ。
その日は小雨が降っていました。
教祖殿の結界がある場所を合殿と言いますが、
そこで最後の参拝。
その時の参拝者は僕だけ。
頭を下げ
「おやさま」
と心でつぶやいた瞬間。
涙がボタボタと落ちます。
おやさまに、
「こんな病気になってしまいました。
もう生きて行くのは辛いのです」
と言うと、その瞬間でした。
お指図、という御神言の一文で、
さあさあこれまで住んでいる。
どこへも行てはせんでどこへも行てはせんで。
日にちの道を見て思案してくれねばならん 以下省略。
この一文が、まるで、おやさまが仰せになったように聞こえたのです。
不思議なのは膨大な御神言がある中
この一文をどこかで拝読したこと
ハッと思い、あたりを見回しましたが誰もいない。
再び頭を下げる。
案じることはいらん
と聞こえました。
「おやさまは存命やと聞いていた。
そうか、おやさまはお姿は見えないだけで、
今もここにおられるのだ」
と確信しました。
医者は治らんと言うたけど、
俺はおやさまにたすけてもらおう。
と決意。
このおやさまの一声で今日の日があるのです。
ですから僕は言います。
僕をたすけてくれたのは、おやさまだと。
たすけてくれ と、願うだけでは駄目。
そこには、
心定めがあっての事であることは言うまでもありません。
どうぞ、たすかり方として覚えておかれるといいですね。
心定めて願う。という順序を。
では、今日も勇んでお通りください。拝
いいなと思ったら応援しよう!
