ひとことはなし42
2021 5 16
先日、朝のおつとめが終わり、いつも通り「お願いつとめ」をさせて頂きました。その後に、ふと浮かんだ悟りがありましたので、ここでお話させて頂きます。
お願いつとめの内容は、ほとんどが人のお願いばかりです。例えば「誰々さんはここが病気でありますが、どうぞ御守護を賜りお連れ通り頂けますように」という内容です。
で、最後の最後に一つだけ、僕自身のお願いをさせて頂きます。それは決まっていて「今日も生かして頂きありがとうございます。僕自身のお願いですが、出直す時、長患いして人に迷惑をかける事なく、どうぞポックリと出直しをさせて頂けますように」と願っています。
亡くなり方。これは恐らく、ある程度の方はそう願うのではないでしょうか。
最後、寝たきりになり、後々の人に迷惑をかけたくないと。
ただ、そう願うのは自由でなのですが、そうなるかどうかは神様の領域ですね。
以前、K分教会の前奥様の御葬儀に参列させて頂いた時、喪主である現会長さんの挨拶が心に残っています。それは、
「母は、人がたすかる為に祈り動いた人生でした。自分の事をお願いする事はないが、ただ一つだけ常々言っていたのは、私の最後は、寝込んで3日目に出直しをさせて頂きたい、という事。それだけが唯一の願いだと言っておりました。
神様は、その願いを聞き届けてくださいました。母は最期まで元気でしたが、今日はえらいから少し横になる、と言い、それから丁度3日間寝て出直しをさせて頂きました。その間、お世話になった方々と面会し御礼を言い、もう十分という時間が3日間でした」
という話が思い起こされました。これは誰にでもできることではありません。
K分教会の前奥様の生き方を見て、神様が心通りに働いてくださったんだと思います。
十全の守護の中で
たいしょくてんのみこと 親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引き取る世話。この世では切ること一切の守護の理。
とありますが、人間、亡くなる時は、息を切るという御守護、働きが必要なのですね。
先日もお話しましたが、先々月末、私は眼の血管を切った、というお話をしました。これは本来なら頭の血管を切って倒れ、その後、半身不随で生きる、という結果を僕が望まない事を神様に常々お願いしておりますから、神様はこの道の為「理を変えてやろう」と、頭の血管ではなく、眼の血管を切って理を変えてくださいました。
お蔭で、今日も元気で生かして頂いております。こう思った時、確かに神様は、僕のお願いをお聞きくださっているのだな、そう思いました。
世はコロナ感染拡大中です。ですが、今日も親神様の御守護を頂いております事はお互い忘れたくありませんね。まずは御礼。そしてお願いが順序です。
最後に、今日ご紹介した前奥様のお話は、ここにちょくちょく登壇してくれるN先生の実家の教会のお話でした。
終わり。
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