ひとことはなし119

 2020  8  14
おはようございます。ではお願いします。
昨日お話した、A分教会前会長様のおたすけ話をさせて頂きます。

教祖の何年祭の時の話か忘れましたが、年祭の前は巡教と言い各教会に御命を頂いた先生が出向き話をして歩きます。
で、この先生も巡教員の御命を頂き、岡山部内のある教会に参りました。

出向いた教会には、沢山の人が詰めかけていたらしいのですが、おつとめ終了後、先生が上段から参拝者に向かい講話をされました。
講話も終わり、客間に戻り、その後、そこの会長にこのように話ました。

「何列目の右から何番目の人。
 何列目の左から何番目の人。
 最後列の右から何番目の人。
 まだおればここへ連れて来てくれるか」
と言われたそうです。

よく講話中にそこまで周りを見る余裕があるなあ、と思いましたね。

そこの会長が言われた人々を探して、先生の前に連れて来ました。
すると先生はいきなり、
「あんた、この教祖年祭にいくら御供しなさい。
 次にあんた。あんたはいくら御供な。
 で、最後にあんた。あんたはいくら御供しなさい。分かったか」
と。言い伝え、その人達を返したそうです。

恐らくそこの会長も呼ばれた方々も、呆気にとられたと思いますよ。
3人共それなりの額でした。

その後どうなったか。ここが大事です。

3人の内、2人は素直に言われた額を御供したそうです。
恐らく葛藤があったと思いますが、最終的には決断したのでしょうね。
で、残りの1人は先生の言葉に不足をし、大変激怒したそうです。
結果的には御供はしなかったそうです。

その後、年祭も終わりしばらくした時、先の方は、あっけなく出直したそうです。今の今まで元気だったそうですが。息が切れたと。不思議な事です。
御供を渋々でも運んだ2人は、今でも元気に生きて社会で活躍しているそうです。※聞いた当時の話。

金銭はつなぎ。
運命が、命が切れそうな時につなぐ。
なので先ができるのですね。
別にお金がほしい訳ではない。ここは分かるようで分からない話でしょう。

昔の先生は、因縁が迫ってきている人の顔が分かるらしいのです。
ところが、当人はそれが分かりません。なのでいくら運べ、と言われたら、なんで?と激怒するのも無理ではない。特にお金の話は機敏に反応します。

最後に前会長様は、こう教えてくれました。
「御供はケチらんこと。御供をケチると必ず先々違う形で泣く日がくる」と。

連山は三代会長様時代から上級御供には力を入れています。
皆さんが運んでくださる御供の額が寄ろうが寄るまいが、上級へ運ぶ額は変えません。これは連山の伝統でもあり信念です。

この度は、食堂屋根葺き替えにお金が必要となりましたが、19日上級祭典に運ぶ額は変えません。それはそれ。これはこれと割り切っています。

「上級をたすけろよ」という前会長様の教えは、今日も息づいています。

ではこれで終わります。ありがとうございました。拝

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タロ芋座右衛門
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