ひとことはなし12

2022年5月8日

4月18日から開始された客間瓦葺き替え工事ですが、ほぼほぼ、その完成が見えてきました。ありがたい事です。

客間の瓦を見上げる度に「凄いことになったなあ」と、驚きが込み上げてきます。
それと立てあうように、新たな事が我が家で起こりました。
それは、先日お話した息子が木の下敷きになった件に共ない、その日あたりから、妻の調子が優れなくなりました。早く申せば、事故当時の体調に戻った、という事です。なので6日の祭典はとても辛そうでした。

それだけではありません。同じ頃から母親の体調も優れなくなり、今も、しんどそうにしております。日中は、ほぼ自室で過ごしています。
又、前会長も下痢がひどくなり、正に3つ巴、4つ巴の様相となってまいりました。

そこで、あれこれ思案しますが、こういう場合、明るい方へ思案するのは僕の性格上難しいのです。どちらかと言えば、悪い方へ思案は向いていき勝ちです。

が、悪い方へ思案しそうになる自分を抑えて、良い方へ明るい方へ思案をする努力をしております。「大難を小難」へお導き下さっている。ありがたいことや、と。

一般家庭であり勝ちな事ですが、大金を使ってなにかした時。例えば家を建てた、とかですが、その場合「人柱が立つ」と言います。

つまり、家族の誰かを失うとか、大きな事情が起こる、というケースは沢山ありますし、僕も見てきました。
なので私たち信仰者は、大金を使う事をする場合、先手を打って「理立」をするのですね。
これを、するのとしないのとでは「泣くか笑うか」くらい差が出ます。

客間瓦葺き替えにあたり、先んじて総工費の一割の理立を運ばせて頂いたので、妻も息子も母親も、これくらいですんでいるのだと思うのです。

大難が大難になると、耐えられないので、大難を小難にしてくださるのですね。理立の持つ意味と役割は大きいと感じるのです。
終わり。

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