ひとことはなし36
2021,3,14
「求めるな。与えよ」
この言葉、誰が言った言葉かご存じですか?
ネットニュースなので真実かどうかは分かりませんが、記事の内容が良かったのでご紹介します。というか、既にご存じの方も大勢あるかもしれません。
先の言葉の発信者は、元SMAPのリーダー、中居正弘さんのお父さんの言葉だそうです。
中居さんはこの度、黄綬褒章を頂かれたのですね。
中居さんは、人知れず「寄付」を随分としてきたようですが、本人はその事を表に出すのを伏せて今まできていたようです。
自分の生活はふつうにして、儲けたお金は寄付という形で、社会や人々をたすけてきた過去があるとの事です。
「そりゃあ、金があるからできるんだ」という人がありますが、お金があっても寄付をしない人もあります。
過去をさかのぼり、寄付をした額は億単位というのですから、すごいですね。
で、なぜ中居さんはそういう事を大事にするのかと言う話ですが、それは父親の教えがバックボーン(背骨、思想、信条)にあるのだそうです。
中居さんが小さい頃、家は貧しかったそうです。その中居さんが「野球をしたい」と、父親にいうと貧しい中、全力で応援してくれた、その恩をいつか返したい、と思ったそうです。
時は過ぎ、中居さんがお金を稼ぐようになった。父の日になり、お父さんに何か贈ろうと思った。するとお父さんは「僕をお父さんにしてくれたのはお前だから、なにもいらないよ」と答えたとか。素晴らしいお父さんですよね。
そのお父さんが中居さんに伝えた言葉が
「求めるな、与えよ」
という言葉だったと。中居さんの精神的支柱にあるのは、この教えなのだろうと思いました。
天理教を信仰している、ある方がこう言いました。
「天理教を信仰すればたすかる、とは僕は思わない。要はたすかる道を通る。つまり、理を外さない生き方ができるかどうかだ」と。
中居さんは、恐らく何教でもないと思います。ただ「お父さん」の教えを、純粋に守って生きてきたのだろうと思います。
お父さんの教えは「求めるな、与えよ」と、実にシンプルですが、あなたできますか、と聞かれたら、どう答えるでしょうか。
人はおおよそ、人になにかを求める傾向がありせんか。
「もっとこうしてくれたらいいのに」「なんでこうしてくれないんだ」
という事です。
人に求める、という事が、人間関係を壊していく原因とも考えられます。しかし中居さんのお父さんは、人には「求めるな」と言います。なかなかできる事ではないですよね。
それどころか「与えよ」ですから。人に「ああしてくれ、こうしてほしい」と思わず、それよりも人に「与えよ」。つまり「ああしてあげたい。こうしてあげたい」でしょうか。求めずに与える事を説くのですから凄いですね。
おやさまが「世界に道あり、道に世界あり」と仰せになりました。
一般社会を通っている人の中には、お道の教え、つまり理に沿って生きる人がいる。
反対に、お道を信仰している人の中には、社会の人のような通り方をする者もある。という意味です。
中居さんは正に、社会の中で生きながら、理に則した道を通っている人のようですね。
お道では「徳積み」というお話があります。僕はそのお話を聞かせて頂いたから、寄付、という形ではなく、御供、という形で勤める事を知っています。が、中居さんは少なくとも、徳積みという観念で寄付をしていないだろうなと思った時、徳のある人というのは、自然に徳を積む行いができるのだな、と思いました。
「こうすれば良いよ」と教えてもらってもできない人。教えてもらわなくても良い事ができる人。この差はなんだ、という事を説明するには、人間、やはり魂に徳があるかないか、という表現しか見当たりませんね。
僕も過去、人に「こうしてくれたらいいのに」と、求めたものです。しかし、そういう心を持っている間は、人は絶対に動いてはくれませんでした。
その内「人を頼るな理を頼れ」という事に行きついていったのです。
動いてくれない人が悪いのではない。自分にその因縁があるのだ、と得心できるまでには時間と経験が必要でしたね。
この記事を読んだ日は、上級祭典準備ひのきしんを終えた時でした。なにか理がありますね。終わり。