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ひとことはなし 日付なし

おはようございます。お目覚めはいかがですか。
今教会では朝つとめを終えましたので、そのまま話に入ります。


昨日のことであります。
昨日は梅雨の合間の晴れ間で、
大変気持ちよく布教に歩かせて頂きました。

僕の日課は10時には布教に出る。
と決めているので、10時になると自転車にまたがり上級を目指します。
その時の僕の格好は決まっていて、
リュックを背負い帽子を被り、という格好です。

昼前には、上級近くに到着するので、近くにある公園で弁当を頂きます。

その後、上級へ参拝させて頂き、その後布教を開始します。
が、その布教スタイルがどうみても不審者ですね。

帽子に、今ではマスク。身なりは普通ですが、そこにリュック姿ですから。

僕を見る人の目は不審者そのもの。
ですが、それも慣れました。
人の目は平気です。
何と思われても構いません。
そんな感じで、昨日も布教に歩いておりました。


時間は、午後2時40分くらいでしたか、
ちょうど小学生低学年の下校時間。

小さい子供達がゾロゾロ自宅に帰っている時でした。

僕が行こうとする方向に、向こうから小学生の女の子が1人
集団下校の列から離れ、こちらに向かって歩いてきました。

「こんにちは」と声をかけようと気構えていましたが、
その子は僕とは目を合わせません。うつむいたまま。

だんだん、その子が近づいてきて、
「こんにちは」
と声をかけようとしたその瞬間でした。

その子が道に落ちているゴミに気がつき、
なんと、そのゴミを拾ったのです。

その姿が、あまりにも自然だったので、
目の前に小さな女神がいるような気持ちになりました。

その子は、そのままゴミを持ったまま自宅に向かったのです。

その姿に「この子の親はきっと素晴らしい人なんだろうな」
と、思った瞬間でした。親でなければ、おじいちゃん、おばあちゃん。

社会では、頭が良く、良い学校へ入り、それなりの会社に入るを良し。
とされていますが、案外学歴のある人が、ゴミ一つ拾えない。

ありますね。


なぜか。
それはその人の
生まれ育った環境。
親の教え。
が多大な影響を及ぼしています。

頭が良いのは結構なのです。
儲かる仕事につけたら尚結構。
ですが、それ以前に、

損得勘定を抜きにして

良いことを自然にできる人は、
やはり徳のある人と言えます。



良いことは躊躇せず、
自然にできるのはすばらしです。

というお話でした。

では、今日も一日、勇んでお通りください。拝

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タロ芋座右衛門
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