ひとことはなし157
2020 10 9
弘徳分教会は京都にあります。
なので「しまんね」という方言です。
ホントか?
「そうはいわん」という場合ご指摘ください。
この先生、実は弘徳の役員先生でもあります。
別席も始まり時間もあるので、
弘徳初代の入信同機をお話下さいました。
話は以下の通り。
うちの初代は京都で和菓子屋をしてましたんや。
商売は右肩上がりの天井知らず。
金はドンドン儲かっていた。
そんな時、ある人からこの道の話を聞いた。
よく聞かせて貰ったら、確かに商売は繁盛して申し分ないが、
我が家の因縁を切る方が大事やと初代は思った。
そこで商売を辞める決断をした。
勿論、従業員は身の立つように仕事先を世話して、
そこから数年かけて店を畳んで道一本に出ましたんや。
その事をどこで聞いたのか、
河原町初代がうちの初代を呼び出して、こう言うた。
あんたは丁度、生きた鯛を神様にお供えしたようなもんや。
先は結構になるで。と。
多くは商売が下火になり遂には借金抱えて、
どうにもならんようになって
そこから道に着くという場合があると思う。
うちの初代は、商売が右肩上がりの時に道に飛び込んだ。
そこを河原町初代は、生きた鯛と表現したのやと思う。
その後、貧乏底なしの道中を初代は歩んでくれた。
その後、部内教会を与えて頂くようになる。
不思議なんやけど、
部内教会長に成人していく者は、以前、
初代が和菓子屋やってた頃の出入りの商人ばかりでしたんや。
不思議でしゃろ。
続きは次回