ひとことはなし18

2022年5月14日

長く降り続いた雨も上がりましたね。
今日は午後から晴れる予報です。

この長雨により、瓦工事は中止でした。
が、親方も元気になったらしく、今日は来てくれるみたいなので、恐らく今日明日くらいで、客間棟瓦葺き替え工事は終了になると思われます。

後は、神殿雨漏りの養生と、小さな箇所があるのみとなりました。これで第一期工事は終結となります。ありがたい事です。

第二期工事の着工日は、まだ未定ですが、それを楽しみに待ちたいと思います。

今回の件で、多くの事を学び体験しました。
事を進める根底の心は、おやさまの教えでした。今回くらい長期間にわたり「神様がある、心配いらん」と自分に言い続けた事はありません。それはある意味、自分が試されたという事でしょう。

人間は目に見えるものを頼りますよね。特にお金がある人は、信仰していても、神様を頼りにする前に、お金を頼るように思います。
お金は命の次に大切なもの、とされていますから、それを失うのは、とても気持ち的に不安定になるようです。

教会は常にお金とは無縁なので、無い事が普通で勤めてきたからか、無い事に、さほど不安はありません。むしろ、持っている事に不安を感じてしまいます。

ある方がこう言いました。
「高価な物を取り込むのはよくないから、この度離します」と。
この言葉自体、言うのは簡単ですが、実行できたらすごい事ですよね。
頭の理解と実行できるというのは、天地の差がありますから。

価値のあるもの。高価なもの。これらは失いたくないものに分類されます。
しかし、それらは僕には、なんの価値もない事ははっきりしていて、むしろ、持つと負担になると思います。

元々は、雨、風しのげたらなんでも良い、と決めて天理教をやると決めたのは20歳の時ですが、今もそれは変わっていません。こんな立派な御屋敷に住みたいとは未だに思わないのです。あくまで「かりもの」なのです。

いずれは小さな土地と小屋をお与え頂いて、そこに小さな神様をお祀りして、人だすけをやる、というのは、今も昔も変わらぬ自分の夢ですね。

神様が「集める理は小さい なれど 集まる理は大きい」と教えて下さいました。この意味が分かる人は凄い人ですね。終わり。

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