ひとことはなし130

2020 8 26
今日は御本部月次祭です。参拝に帰れないのが残念ですが、皆さんも各ご家庭からおぢばを遥拝し、日々の御礼を申し上げてくださいね。

さて、こうして「ひとことはなし」をさせて頂くにあたり、何か題材はないかと、過去の日記を引っ張り出しました。
僕が会長になったのが平成11年ですから、その頃からの日記です。
読むと随分忘れている事が多い事に我ながら驚きました。

すっかり忘れていましたが、会長なってから15年目くらいまでは、お昼ご飯は抜いていました。
この頃は見る見る痩せていったらしく、御本部月次祭に帰らせて頂き知り合いに会うと、決まって「お前痩せたなあ。身体大丈夫か」と、よく声を掛けられていたなあと、懐かしく思いました。

話は変わり、当時僕は会長とは名ばかり。
何にも知らないままよく会長職を受けたなあと、当時の僕に呟いていました。
勿論そこには、様々な事情病気を見せられたからという、明確な理由があります。何もなければ僕は受けていません。

僕は昔からそうなのか分かりませんが、興味がない事は一切覚える気がない人間です。普通これくらいの事は知っているだろ、という事も知らない事が未だに多いですね。

その典型が、天理教の中にある系統というものの無知さです。
僕は次男なので、まさか自分が連山の会長になるとは微塵も思っていませんでした。なので、例えば上級教会の部内関係の方とか、昔から知っているだろう、と思われる事すら知りませんでした。

まして大教会の関係者など全く興味がないので、覚える気すらない。
実はこの頃は12下りのてをどりも一人では踊れませんでした。

そんなのが会長ですから、スタート時点で既に他の会長さん方とは周回遅れも甚だしい。
常に「この人誰?」という所からでした。
又、大教会など行くと「あんた誰」ともよく聞かれました。
その場合、
「はい、連山の会長になった者です」と言うと、
「えーあんた会長?」
「お兄さんはよく知ってるけど、あんたが会長?」
ともよく言われましたね。
「兄貴を差し置いてコイツは」という気持ちがその方々にはあったと思います。

話ついでに、僕が会長になってから後、他の教会もだんだん会長を交代する場面を見てきました。
その場合、他の会長さん方から、新しい会長さんに「おめでとう」と声を掛けてもらっている光景を何度か見たのです。
その時初めて知ったのです。
会長になるとそう言って貰えるのかと。

僕の時は、大教会へ出ても誰からもそういった言葉を掛けて貰わらなかったので、いかに自分が連山の会長になったという事を、当時、他の会長さん方から見たら奇妙に映ったか。ですね。

当時は話題の連山でしたので、実感としては身の置場がない、という表現が的していたと思います。
相手にされず、という状況でしたし、そういう期間も長かったです。

でも、今はそのお陰で、と喜べる事がたくさんあります。
だからお道は素晴らしいのです。節から芽を出すのです。

当時、自分が置かれた状況は、あまり良くありませんでした。
でも、それを乗り越える力を徳と言いますが、人から悪く言われ、人に相手にされない時期は、黙々と理と徳を積む時期なのです。
その時期を神様にお与え頂いたと思って、頭を低くして黙って通ればいいのです。

そのお陰で今日があります。
耐えに耐えた20年間ですが、連山の皆さんも、よくぞ耐えてくださったと、心から本当にそう思うのです。

これからは日誌の時系列でお話をする事ができると思います。
お付き合いくださいね。
ではこれで終わります。拝

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タロ芋座右衛門
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