ひとことはなし11
2022年5月4日
息子はその後、病院で精密検査を受けました。
診断結果は「背骨は折れていません。又、その他も異常が見つかりませんでした」との事でした。
この診断結果を聞いた時思いました。
息子はこれまで親をたすけ、又教会を陰からたすけてきた理で、終わる命をたすけ頂いたのだと。
安心したと同時に心に浮かんだ事があるので、息子に聞きました。
「命とお金とどちらが大切や?」と。
そこにいた他の子供達にも聞きましたら、皆「命」との事でした。
僕は「今知っての通り、瓦葺き替え工事が進んでいるやろ。これは、たすけふしん、とお聞かせ頂くが、どうや、命を継ぎ足して頂くという意味で、お金の御供をさせて頂くか?」と聞きました。
「ただし、強制はしない。自分で考えて決めてくれたらいい」と伝えてその夜は休みました。
「お金はつなぎ」と教えて頂きます
「金銭縁談、全てのものをつなぐ理」
息子の場合、いや僕の子供達全員、学歴とか高収入とかどうでもよく、ただ健康で生きしてほしい、と常々願っています。その為には神様に守って頂くしかない。と確信します。
たすけふしんへの伏せ込みは、寿命をむかえた命を継ぎ足して頂く。又、事情を治めて頂くという意味でとても重要ですね。この守護は伏せ込んだ人限定です。
「たすけふしん」と聞いても、伏せ込むかどうかはその人の判断。うちの教会は御供の強制がないのです。皆さんそれぞれのお考えで、やるか、やらないか、は決めています。
考えるのです。子供達に、もしもの事があったら、恐らく僕は立ち直れないと予想できるので、そうなる前に、命を伸ばして頂く理を伏せ込んでほしかったのですね。
次の朝息子が「この度の瓦工事に伏せ込みます」と返事がありました。
嬉しかったのはお金の御供よりも、これで息子も、他の子供達も大丈夫ということ。
息子は危険な作業をする日々です。
どうでも神様に危ないところは守ってもらいたい。
そう願うのです。終わり。