ひとことはなし34

2021,2,21
「むりなねがいはしてくれな ひとすじこころになりてこい」
無理な願いはしてくれな 一筋心になりてこい
「なんでもこれからひとすじに かみにもたれてゆきまする」
なんでもこれから一筋に 神にもたれて行きまする

 僕は朝つとめの後「お願いつとめ」をさせて頂いておりますが、お願いの内容は人の事ばかりで、時間にして5分以上頭を下げている時が多々あります。

 そんな時、親神様にお聞きするのです。
「親神様。僕は一筋心になっているでしょうか」と。
「一筋心になっているつもりですが、親神様からご覧頂いたらどうでしょうか」と。
親神様は「一筋心になっているぞ」とはお答えにはなりません。
ただ、聞き届けて下さった時には、明らかに事態が展開します。これは間違いない。

 僕が毎回お願いする内容は、お金でどうこうできる内容は、全くないとは申せませんがあまりありません。神様の不思議なお働きがあって、初めて成就する内容がほとんどなのです。
お願いつとめが終わる間際、親神様に申します。
「無理な願いである事は重々承知の上ではございますが、何卒、お働き頂けますように」と。

 無理なお願いを聞き届けて頂く為の条件として、一筋心になる必要があります。
「神の道は一筋。人間の道は千筋」と仰せであります。人間は、これがダメなら、次はこれ、と移ろいます。ですが、神様に無理な願いを聞き入れて頂く為には、あらゆる人間思案を断ち、一心。つまり一筋心になる事が重要なのでしょう。「一筋心になりてこい」と「みかぐらうた」にあります。

 又、一筋心になるという事は、神様にもたれる、という事にもなります。12下り目まで、様々な「手振り」「足の運び」がありますが、唯一この「神にもたれてゆきまする」というお歌の時のみ、左周りとなります。
「一列」他は全て、右周りをするのに対して、この「神にもたれて」という時のみ左周りなのです。
意味するところは、「神にもたれる」という行為は簡単な事ではなく、いかに難しい事であるかを、形で教えられているのではないか、とあります。

 僕がこの場でよく書きますが、神様があるかないか。それは皆さんが体験していくしかないと思います。いかに僕が「神様の不思議」を皆様にお伝えしても、それは人の理であって皆さまの理ではないのです。
 僕が体験したからといって、人にその感動は伝わりません。なぜか。実体験がないからですね。信仰を伝える点で、もっとも難しいところかな、と今は思います。

 僕は、向こう5年計画で、大きな心定めをしたので、何としても、この定めた事を成就したいのです。しかし、これはお金があったら成就できる事ではありません。ひたすらに願い続け実行し続けていくしかありません。
 向こう5年計画。差し当たって今年はこれだけの御守護を頂きたい、と願って実行しています。頼りは「神」つまり「理」のみですね。

 ところで、5年後になにがあるのか。
教祖140年祭があるのです。
そして、連山創立100周年という大きな節目があります。僕には明確なビジョンがあり、それに向かって突進してまいります。無理な僕の心定めのお願いが現実になるよう勤めてまいります。
終わり。

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