183 矛盾の中に真理がある

2022年11月19日

修養科生さんと話をしていると、
昔の事が次々と思い出されます。
その中での話。

天理教では昔「よのもと会講演部」という部があり、
その講演部には「講師」がいました。
(今もあるのかは知りませんが)

講師になる先生方は天理教初代が多く、
単独布教から教会を設立したという、
正に叩き上げの猛者ばかり。

なので、話の内容が凄いのが評判でした。

その講演部のある先生が
急性リュウマチになった。
という。

リュウマチという病気はとても痛いと聞きます。
その先生、こうなったのには理がある。
とあれこれ「さんげ」「理立」をした。

一向に病状が良くならない。

最初はそうしていたが、
だんだん人間考えが出て、
病院へかかるようになった。
が、良くならない。

遂には天理にある「憩の家」病院へ通う事に。

そこで担当医の先生に診てもらうと、その担当医もその先生を知っていて、顔を見るなり
「先生が来るところはここではない。
あっちあっち」
と御本部神殿を指した。

「やはりそうか」と受診を止めて、
神殿へ行くが、さっぱり理が分からないので困った。

しばらく悶々としていた時、ある会長さんからアドバイスを受けた。
それは
「大阪にある00の会長さんなら、
こうなる理がなんなのか教えてくれると思う」
と聞き、その日にその教会に参った。

運よく会長さんと面会できたので、
自分がなぜリュウマチになったのか、
について理を伺った。

会長さんは
「先生程の方が、なぜこういう病気になるのかは私には分からない。
ただ、うちの上級の会長様ならきっと分かると思うから、一度行ってみたら」
と上級教会を紹介された。

飛んで上級教会に行くと、
運よく会長様と面会ができた。

その時会長様はその方に、
「お前さんほどの先生なら、元の理は知っているだろう。
ここで元の理を話してみなよ」と。

講演部講師でもありますから、
流れる水のように「元の理」を話た。

会長様は、
「どうだい、分かったかい?」と。

「なにがでございますか?」と。

「分からないならもう一度、元の理を話てみなよ」と。

また同じように「元の理」を話たと。

会長様は、
「どうだい、もう分かっただろう」と。
「いえ更に分かりません。
いったい何がどうなんでしょうか。
わかるように教えてください」と願うと、

「いいかい。元の理にあるように人間の種は泥鰌なんだよ。
泥鰌はねえ、泥の中に住んでいるが、引き上げても泥がつかないんだよ。
又、泥鰌はねえ 泥を食べて生きているが、腹を割っても泥が出て来ないんだよ。
これはなにを意味しているかい」

「んーなんだろうか・・・・」
「分かりませんので教えて頂きたい」

すると会長様は
「矛盾を意味しているんだ。
矛盾の中に真理があるんだよ。

お前さんみたいに偉くなると、
天理教の組織がどうとか、
大教会がどうとか言っているんだろう。
だからそんな病気になって苦しむんだよ。

お前みたいなのがいるから天理教もこうだ」
と、ガクッと頭を下げられて涙を流された。

その瞬間
「そうか、そうだったのか。確かにそうだ。
俺は天理教、又大教会の悪いところを取り上げて、先生面していろいろ不足してきた。それが理に沿わなかったのか」と気がついた。

そうなるとお詫びとなります。

お詫び・さんげをして、心定めしたその瞬間。
あれだけ痛かったリュウマチの痛みがピタっと止まった。

今のお道はあまりこういう事を説きませんが、
やはり病気には理がある。
事情にも理がる。
という。

僕はこのお話を知ってから
上級 大教会 御本部のやり方に
不足をしないようにした。

そうすると
ありがたい ありがたい
となったから不思議なのだ。

今もこの状態をキープしているよ。
それが信仰だと思うからね。

修養科生さんと話をしなかったら
こういうお話は深く埋もれてしまうところだった。

ありがとう、修養科生さん。

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タロ芋座右衛門
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