ひとことはなし48
2020年11月9日
天理の学生時代の布教期間の話。
自慢話ではありませんが、僕は不思議と、おたすけに出向く家を、そこそこお与え頂きました。不思議なたすけはありませんでしたが。
で、その方々が「これ御供して」と御供を預かるようになり、それを実修所の所長先生に出すと「お前は、よく御供を預かってくるなあ」と何度も言われました。こちらもその理由が分かりません。
で、いよいよ布教実修も終わるという時期、また御供を預かって帰りますと、所長先生が「お前がこの半年間で人から預かってきた御供だけどな、合計63000円だぞ」と言われました。無論これは全ておぢばに運ばれました。
よくよく考えると、布教に出る前に会長から
「手持ちのお金を全部かんろだいに御供していけ」と言われ、泣く泣く運んだ全額が6300円であった事に気が付きました。
この当時はタバコを吸っていたので、手持ちがないとタバコが買えない。これは辛かった。
タバコに関して言えば、早朝近くの駅に掃除に行くのです。これは自発的ではなく決まり事として行く。
飲み屋街があるので、そこに落ちているゴミを拾っていると、必ず、必ずですが、タバコが落ちている。1本や2本ではなく箱ごとです。
なのでそういう意味で、タバコには不自由しませんでした。
食べ物に関して言えば、朝はおかゆ。と言っても米が少なすぎて重湯に近い。若いし腹が減る。トイレに行くまでは腹持ちはいいが、一度出たらもうだめ。お腹が減ってしまう。
お昼は抜き。ですが、以前書いたようにパン屋さんと知り合いになり、私はとても良いパンを頂いていました。
なので、この点もありがたかった。
結論としては「神様は尽くしたもの、真実は倍にして返してくださるのだな」と、その時感じましたね。
タバコにしても、お昼ご飯に総菜パンを頂けたのもこの理ですね。
「真実の種をまけば、一粒万倍にしてかえす」と神様が仰せです。本当にそうなんだな、と、実感した経験のお話でした。終わり。
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