ひとことはなし26
2021 1 10
僕が尊敬する、あるお教会の会長様のお話です。「3日前の御守護」というお話です。
会長様は「昔は人間は心がとても綺麗だった。疑う事を知らない。だから神様の御守護を貰いやすかった。しかし、生まれ変わり出変わりする内に、欲を持ち、魂は汚れ、因縁をこしらえた。その人間は、だんだん身体を壊し、事情で泣きして、自分の運命も、人も呪うようになった。そうして困った人間は、あれこれ、お願いをするようになった。
お願いするのは自由だが、神様に届くかどうかは、その人のやり方次第。
素直に理を聞き、疑わずに通る。徳を積む。因縁を切る。すると信じる力が生まれる。ここに3日前の御守護がある。
人間は願う。が、なかなか理がもらえない。鮮やかに御守護を見せて頂けない。すると、神様はやはりないのだろうか。と疑い、迷い、案じる。
神様がないのではない。神様は「この者は、どこまで俺の事を信じているだろうか」と、ずっと見ていなさる。
心を定め、願い、徳を積み、待つ。その中、日を仕切る。いついつまでに理を戴きたいと。すると、日を仕切った丁度3日前には、必ず一つの理を見せてくださる。間違いない。ただ、道中疑うと理は消える。3日前の御守護だ」(要約)と言う内容のお話でした。
このお話を初めて聞かせて頂いたのは10年前くらいです。そこから僕は、お願いする時は、「何月何日までに」と、必ず日を仕切ります。ダラダラではいけません。後は疑わず、神様のみを信じて進むだけですね。でも、人間ここが難しいのです。
人は、目に見えるものを信じ、頼ろうとしますが、目に見えない神様を心底から信じ、頼ろうというのは簡単な事ではありません。
しかし、だんだんと心が成人してきますと、人を頼らなくなり、真っすぐに理のみを頼りとします。終わり