宗教家日誌12
おはようございます。今日は7月13日。くもり。
教組年祭まで、あと562日。
皆様、勇んでますか?
昨日は、部内布教所の祭典日に参拝した。
所長さんの年齢は80歳を超えている。
数年前に腰を痛めた為、少し腰が曲がりつつある。
この所長さんの人生は凄まじいのだ。少し紹介する。
元々は天理教ではなかった。が、主人と結婚して子供を宿した頃、
吐血。肺結核だった。
出産はなんとかできたが、その後は入院した。
一晩に吐血を何回もする。体はやせ細る。
その状況を聞いた私の祖母が、おたすけに通うのだ。
祖母が病室でおさづけを取り次ぐ。すると主人が面白くない顔をする。
回数を重ねると、更に主人は怒りを露わにするようになった。
私の祖母が肺結核の所長に言う。(当時はまだ所長ではない)
「ここで入院していても身体は元には治らないと思う。
私がおぢば(天理教教会本部)へ連れて行く。
どうだい、一緒に行かないか?」
吐血をしている人に、こういうことを昔の人は言った。
常識を大いに外れた行動をした。まともではない。
無論、主人は猛反対。祖母に食ってかかる勢いだ。
「もし途中で死んだらお前どうする?どう責任をとるつもりじゃ」
と凄む。
祖母も一歩も引かない。
「大丈夫、必ずたすかる。私が責任を持つ」と断言。
昔の信仰者は信念が違うな、と思う。
そこから吐血をするその人を普通列車に乗せて天理へ向かう。
途中なにがあって良いように臨戦態勢だったと聞く。
当時は天理まで丸1日かかったそうだ。
今のように交通機関は発達していない。
二人は不思議とおぢばへ参拝できた。
無事病院まで帰った。
しばらくこれを繰り返したそうだ。
不思議なことが起こった。
おぢばへ一度帰ると吐血回数が減る。ということを経験した。
ついに、吐血をしなくなり最後は透明のつばが出て治った。
しかし主人は、天理教にのめり込む妻を腹立たしく思った。
家では暴れる。奥さんに無理難題を突き付ける。できなければ暴力をふるう。それが連日だ。
その当時のことを所長さんは言う。
「私が教会に行くと怒るから、主人が寝たらばれないように、夜中に教会へ行く。ばれたら殴られたものよ」と。
なので当時はよく顔面がはれていた。と。
「なぜそこまでしたのですか」と聞くと答えは一つ。
「たすけて頂いたご恩がある。なんとしても、このご恩を返したい」
それが所長さんの心。
所長さんが天理教に熱心になればなるほど、主人は遊びをするように。
それを知りながらも所長さんは主人と暮らす。
そんなある日、風呂を炊く時、火の燃えカスが風に舞い上がった。
当時は薪で風呂を炊いていた時代。
そこから火事が起こり、家は全焼した。
さあ、主人をはじめ親戚達が寄り集まり、所長さんに言う。
「お前が天理教なんかやるからこうなる。もういい加減にせい」
と。
所長さんは針の筵。さんざん言われたころ、割って入った人がいた。
それは、姑。いならぶ親戚たちにこう宣言した。
「お前達にいったいなにが分かる。
家は焼けたがこの中に神様の御守護はあるんじゃ」と叫んだ。
一同シーン。
この言葉が示したものはなにか。
それは、建物も家財もなにからなにまで焼けた。が、その中、神様のお社だけは綺麗に残ったのだ。少しも焦げてもいない。お社だけがポツン、と綺麗な状態で発見された。そこを言ったのだ。
一同は帰っていった。
その後、ふしん。
それからも主人との攻防は繰り返された。
が、今では、その主人。
教会へひのきしんに出てくるようになり、
自分にできる奉仕をする。
顔も仏様みたいになってきた。
人間、行動が変われば目つき顔つきも変わる。
その実例を見た。
所長さんが歩んだ道はここでは書ききれないが、今日はここまでとする。
今日も暑くなるが所長さんは歩いて教会に来るだろう。
「変わらぬが誠」
と神様は教えてくれる。
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