ひとことはなし120
2020 8 15
おはようございます。ではお願いします。
今朝読んだ天理教教典の中に、おさづけの理について書かれていた。
ので、今日は僕がおさづけの理を拝戴した時の事を話しますね。
僕がおさづけの理を拝戴したのが昭和62年1月。高校生の時だ。
昭和61年は当時会長だった父親が倒れた年です。50歳でした。
授業中、担任の先生が僕を呼ぶので外へ出ると
「お父さんが危篤や。今からすぐ家に帰れ」
訳が分かりませんでしたね。本当に急でした。
姉と新幹線に乗り岡山駅で降り、その後、父親が入院した川崎医科大へ行きました。その後母親と共にICUへ入ると、そこへ父親が寝ていました。
母親が、
「会長さん。00と00が天理から帰ってきたで」と声をかけました。
が、父親はピクリともしません。
その時思いましたね。
「あの厳しく怖かった父親が動かない。まるで子供みたいやな」と。
その後、担当医から病状説明でしたが、結論は「危ない」
という一言でした。
その日は教会へ帰り、次の日でした。
母親は講社祭の為、児島まで出向き留守。
その時でした。病院から
「すぐ来てください。容体が変わり危ないです」と。
全身の血の気が引きました。
姉と僕はうろたえましたが、三代様は動揺しませんでしたね。凄いですね。
この出来事の前、三代様が母親に理をさとしました。
「あんたがいくら、会長の側でついていても容態は変わらんぞ。
命がないところを御守護頂きたいなら、あんたが病院中、おたすけして歩 け」と。
この理を持って、母親は病院中をおたすけして歩きます。
結果的に、この母親の真実で父親はない命をたすけて頂きました。
現在地へ引っ越してきて5年目。大借金がある時期でした。
移転という大きな買い物をすると、大体、身が持ちませんね。
話を戻し、その電話後、KAさんが僕らを車で病院まで送って下さり、そこへ暫くして母親も来ました。
姉はうろたえていて父親に「会うのが怖い」というので、母親と僕だけがICUへ入りました。兄は教会実習中なので帰らせて貰えませんでした。
その時です。今にも命が切れそうな父親を目の前にして、僕はおさづけをまだ拝戴してい為、おさづけを取り次げないもどかしさ。これは本当に悔しかったですね。
その時決めました。
「おさづけを拝戴したら必ず人をたすけると」
そういう思いがあっての、おさづけの理の拝戴日を迎えました。
僕の番が来て、真柱様の前で拝戴する瞬間でした。
「さあ受け取れ」というお言葉と同時に、僕の身体の中にドンッと何か入ってきたのです。
思わず「ウワッなんや、何か体に入ってきたぞ」
と心の中で叫んでいました。
拝戴も終わり、友達に「なんか入ってきたやろ」と聞くと、皆
「いいや。そんなんないで」と。
という事は俺だけ、という事になりました。
だからと言って、僕のおさづけは劇的な奇跡は見せては貰えません。
ただ、とにかく父親の事があり、「何でもおさづけの理が欲しい」というその一途な思いだけはありました。
神様は、この心は受け取ってくださっていたのでしょうね。
精神の理によって働かそう。精神ひとつによって1人万人にむかう。
神は心に乗りて働くほどに
と神様は仰せです。
ではこれで終わります。ありがとうございました。拝
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