ひとことはなし121
2020 8 16
おはようございます。ではお願いします。
お道では、前生をさとす時があります。
僕自身、会長になった時なぜ自分が会長をしなくてはいけないのか。
と、とても悩んだ時期がありました。その時期は長かったですね。
その時フと、自分の前生が深く関わっているのではないか、と思いました。
我が家の発祥地は、真備と船穂との丁度中間点に、二万(にま)という所があります。ここなのです。最初この地には加藤と我一族しかいなかったそうです。
昔、神様に「僕のルーツが分かりますように」とお願いし二万へ出掛けた事があります。
その日は大変暑い日でした。
二万には大きなお寺がありますが、そこのお墓には我が家一族の墓が沢山ありました。アチコチにその墓があるので、どれが自分のルーツなのか分かりません。
で、諦めかけたその時に目に入ったお墓。
文字が風化してよく読めないのです。
しかし、目を凝らして見てみると、その墓に刻まれた文字を見てギョッとしました。
そのお墓には、
00新治。慶応二年 享年31歳没。
息子、慶光。享年3歳没。
と書かれていました。
神様は、この墓を僕に見せました。「お前の前生だぞ」と。
背筋が凍りました。
僕は伸治。この墓の人は新治。
僕の息子は慶春。この墓の息子は慶光。
偶然にしては出来過ぎです。
前生でも、僕と慶春は親子であった事が分かります。
慶応年間です。
我が家の男子は31歳が出直す年。でなくば、3歳の時に出直す。
と親から教えて貰っています。
このお墓を見て妙に納得しました。
なぜ僕みたいなのが、会長職を引き受けなくてはならなかったのか。
という事を。
話ついでに、その後三代様も出直し、改めてもう一度、先のお墓を見に行きました。記録と記憶に留めておく為に。
丁度僕が墓地に着いた時、見知らぬおじさんがリヤカーに墓参道具を積んで行こうとしていました。
大変そうに見えたので、「押しましょうか」と声をかけ、共にその場所まで参りました。
そこで、そのおじさんとは別れ、先程のお墓を探してウロウロしていたら、先程のおじさんが、「兄さん、何を探してんの」と声をかけてくれました。
実は、その後お墓が整理されていて、前見つけたお墓が無くなっていたのです。
そこで、先のおじさんに自己紹介をしたら、そのおじさんが言うのに、
「俺も同名やで」と。
引き続き、
「俺はこの家の総本家の棟梁や。今は京都へ住んでいるけどな。
今日は爺さんの法要があるから帰ってきたんや」と。
不思議な出会いでした。
総本家さんは、
「俺ら夫婦の間に子供は出来んかった。なので総本家は俺の代でなくなる。
ところであんたとこはどうや」と。
僕は、こう答えました。
「僕には子供が4人います。皆元気です」と。
すると総本家のおじさんは、
「へー珍しいな。俺の知る範囲はこの家の分家筋は皆絶えたで。
あんたのところが頼りやな。
ところであんたは何している人なんや」と聞くので、
「僕は天理教をしています」
と言うと、
「ああ、そのお陰やろうなー。これからもしっかりやってこの家の名を絶やさないように頼む」と言われました。
その後、総本家のおじさんが家のルーツを教えてくれました。
大変興味深い話でした。
聞けば、なるほどな、だからやな。と合点が出来ました。
前生を否定しようがどうしようが、それは構いません。
しかし、人間には前生はありますね。間違いありません。
昨日があり今日がある。という感じですね。
今日はこれで話を終わります。拝