ひとことはなし84
2020 10 20
教祖120年祭の年の7月の出来事です。
着々と「毎週おぢば帰り」を勤め、勇んでおりました。
前にも書きましたが、この教祖120年祭に向かう三年千日活動の更に1年前から、僕は上級日参と1日4座の12下りを勤めました。と書けば聞こえはいいが、前会長からの言いつけでした。
新米教会長の僕に、教祖年祭までは上のように勤めるように、と言われたのです。
今思うと、自分が勤めたんですが実はそうじゃあない。神様が勤めさせてくださったと分かります。
これを勤め終えたその先に、何かとても良い事が起こるのではないか、という確信のない希望が唯一の支えで、この4年間を歩み通しましたね。
で、教祖120年祭の年となり、「毎週おぢばがえり」で不思議な理を、数々お見せ頂いている時でした。今思うと、毎週、人のお与えがあったという事が御守護なんだと分かりますが、当時はそこまで思いが行っておりませんでした。
そうした7月。次女の息使いがおかしいので病院へ連れて行くと、そのまま入院でした。時は子供おぢば帰り直前。妻は次女の付き添いとなり、子供おぢば帰りは都合4回出たのですが、本隊の時の引率者は、僕と信者さん1名だけで、子供40人近く連れて帰る。そういう時でした。続く