ひとことはなし116
2020.8.10
おはようございます。
昨日の続きみたいな事になりますが、長男は僕ら夫婦の子供として誕生しました。
出産予定日は4月18日。教祖御誕生日の日でした。
実際に生まれたのは4月14日。上級祭典日でした。有難いですね。
この子は、昔の表現だと超スパルタで育てました。
(今思い返しても辛い。)
しかし、よくよく考えると自分が子供の頃、こういう風に育てられたのです。だから「これが子育てとはいうものだ」
と何の疑問も持っていませんでした。
又、周りからも
「子供は厳しく育てなさい」という環境でもありました。
長男は今でもトラウマになっていると思います。
因みに彼が17歳くらい頃、親として本人にお詫びしました。
「すまなかった」とね。
僕は未だに父親にはトラウマがあります。
親に育てられたように子にも接します。
恐ろしいですね。これが家の因縁とも言います。
しかし、ある時期から僕の子育ては違うのではないか、と思いました。
そのキッカケは長男が小学校低学年の頃であったと記憶していますが、なんかふざけた事をやりました。
すぐさま僕が「コラー」と大声で怒鳴ったその時です。
父親が出てきて、「もうそこまでするな」と一言。
この一言で、それ以降長男を始め、他の子供にも一切手を出さなくなりました。その瞬間、何故か自分の中で、ホッとしたのを覚えていますね。
恐らく父親も、我が子を叩いて育てた事を後悔していたのかも知れません。
父親の父親は、父が3歳の時に出直しています。
なので両親の愛情を受けていません。
「常に厳しさと不安しかなかった」と以前父から聞きました。
そういう環境で育ったものですから、子供との接し方が分からないのですね。無理はない。
話を戻しますが、その後は手を出さないだけで、大声で怒鳴って育てました。
当時、子供達は僕が外から帰るとピリピリしていましたね。
僕も色々ありピリピリしていました。なので家庭内が治りません。
子供が病気になるのも無理ないですね。
子供が病気になったり、事情を起こす家庭は、だいたいこのような事が原因です。
で、その後月日はたち、僕の子育てが決定的に変わる日を迎えます。
そうです、恩人との出逢いです。
恩人は、
「あなたね、子供は前生の命の恩人ですよ。それを叩いたり、怒鳴ったりしてどうするのですか。子供と言えどもそれぞれ人格がある。それを子供だからと言って軽くしてはいけなのですよ」と。
この一言で、僕の子供に対する接し方は改まります。
丁度10年前の出来事です。
その方が言うのは、
「子供にはね、ありがとうね、ありがとうね」という言葉で育てるのですよ。と。
この方との出会いが、その後の僕の信仰姿勢を根本的に変える、正に一大事となります。この方は、御本部月次祭で出会いました。他系統の方ですが神様がつけてくれたご縁です。
この方と出会ってなければ、我が家は崩壊していますし今日の自分はないと断言します。
信仰をしながら崩壊するのですから、因縁が深いというのはここです。
又、出会い、ご縁の大切さです。
続きはまた次回ですね。
と書いてますが、次回がどこにあるやら分かりません。
なのでこれでこの下りは終わります。
今日も暑いです。体調には十分気をつけてお通りください。拝