ひとことはなし107
日付なし
おはようございます。
では始めさせて頂きます。
最近、三代様のおたすけ話をしていますが、関連して様々な事を思い出しました。
それは、三代様は101才でお出直しされましたが、いつ頃までおたすけをされていたか
という事を思い出そうとしました。
記憶が曖昧になりつつある中で、思い出したのが、次女の病気が恐らく最後のおたすけではなかったか、と思いました。(間違いかも)
それは、次女が3歳の頃。
初の喘息発作。
ある日、息遣いがおかしい。
が、そんなに悪くなさそうなので放置。
その晩でした。一晩中息遣いがおかしい。僕は
「甘えているのだろう」
と勝手に決め放置しました。※今思えば親失格です。
翌朝。静かになったので、
「やはり甘えていたのだな」
と思っていたら、小鼻がピクピクしてる。
この症状は、命が危ない時に起こる事になると聞いた。
ここで初めて、次女の様子がおかしい。と思った瞬間でした。
妻が、グッタリした次女を抱いて神殿でおさづけを。
その後、妻に、ある人から電話が入ったのです。
出ると、妻がにをいをかけた看護師さんでした。
この電話が神様なのです。
もし、この電話がなかったら次女は出直してます。
で、この看護師に次女の状態を伝えると、
「すぐ病院へ連れて行きなさい」と。
慌てて妻が、近くの個人医へ連れて行く。
お医者が、
「もう手の施しようがない。すぐ救急車で倉敷中央病院へ連れて行け」と。
もう、頭が真っ白。
倉敷中央の救急へ次女が運び込まれました。
お医者様が、
「肺に酸素が入ってない。肺が真っ白です。危ない。
なぜここまでほっていたのですか」と、妻はお医者様から怒られました。
病名は小児喘息でした。
言い訳ですが、過去に喘息の症状があったのであれば処置もわかりますが、これが最初だったこともあり、どうする事もできません。
小さい次女がベットに横たわり、身体にチューブを入れている姿は、親として辛かった。
その時思いました。
「まだ小さいこの子を出直しさせる訳にはいかん。神様に治して貰おう」
と決心し、夫婦で心定めをさせて頂きましたね。内容は覚えてない。
その後、不思議と酸素が肺に入りだし、自発呼吸をし始め3日目には退院。
ただ、その退院は、ほぼ強行的でした。
なぜなら入院費がないのです。これも辛い決断でした。
その後、教会へ帰りましたが、次女は調子が戻らないので歩こうとしませんし、食欲もない。当然ですね。
その姿を見た三代様が、おもむろに「パンパン」と手を叩き、おさづけを始めました。
因みにこの頃の三代様は、会話をしても成り立たない、という状態の時でした。
しかし、染み付いたおたすけ心が弱っていた次女を見て、真に戻った瞬間ですね。
このおさづけが台となり、次女は徐々に元気にならせて頂いたのは言うまでもありません。
もし、この時三代様がおられなければ、次女はどうなっていたでしょう。
親として、一生悔やんで生きていたかもしれませんね。
こういう事があったなあ、と思い出す事ができました。
今思うと、この子の病気の意味は、心がフラフラしている私達親を、信仰者として「半端な心で通るな。真剣になれ」と、今後、教会を預かる信仰者として生きていく為、揺るぎない筋金を入れてくれた、そいう意味があったのです。
長くなりました。これでもだいぶ間を端折ってますのでご勘弁を。
今日も暑くなります。体調管理に気をつけて勇んでお通りください。拝
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