見出し画像

自分史~人付き合い編

来春から社会人になる。
ワクワクもあるし、不安もある。
一番の不安は、人間関係。生まれてこのかた、これに自信を持てたことがない。
心を許している友達は少なからずいるし、言うほどコミュニケーションできないわけではないのかもしれない。しかし昔から「友達」とか「コミュニケーション」とかの言葉を前にすると、極端に自信がなくなる。

これからの人生での人付き合いでもう後悔しないよう、今までの後悔を活かすために書いてみる。(例によって長いですね、、)


自分史をたどる

人付き合いが苦手な根本の要因

小中学生の頃は友達が少なかった。(悲しすぎる書き出し)
体も心もよわよわで、周りに舐められているふしもあった。

とにかく「大人しい」と言われ育ってきたことが記憶に強く残っている。
家では、飛んで跳ねて元気な子どもだったのだが、ひとたび学校に行くとだんまり。極度の内弁慶。
「なんでそんなに喋らないの?」と同級生から言われて、謝ることしかできなかったのは小学校ワーストの思い出。
自分でもわからなかった。なんで外では「大人しく」なってしまうのか。性格に理由も優劣もない。今ならそう言ってあげられるのに。

そんな、大人が押し付ける「明るくて元気で友達100人」みたいな子ども像とはかけ離れていることが、自分の中でもずっとコンプレックスだった。
「大人しいね」と言われるたびに、言った方のニュアンスはどうであれ「明るくないお前はダメだ」と言われているような、否定的な風に見られていると感じてきた。
「私は大人しい」「コミュニケーションできない」「つまらない人間」という必要以上の思い込みが、自分自身を縛ってしまっていたのかもしれないとも思う。

この自信のなさが、コミュニケーションを苦手にしている要因だと思う。
そしてそれに拍車をかける出来事が起こった。


暗黒のぼっち時代

中学3年は私にとって暗黒時代。クラスで基本ぼっちだった。
小学校からの友達と、2年ぶりに同じクラスになれた。のだが、中3にもなると(特に女子は)グループが固定化されてくる。
私は新しいクラスにその子くらいしか「仲いい」と言える人がいなかったのだが、その子ともっと仲のいい数人も一緒だった。その子の机の周りに何人も集まって、一緒のクラスになれたことを嬉しそうに話している。
初日それを見て、私は友達に話しかけに行けなかった。その子のグループには私があまり好きじゃない子もいて、陰でなんか言われたらと思うと動けなかった。
周りを見渡しても、もう全員グループができている。誰にも話しかけることができず、こうして初日にぼっちが確定してしまった。

そこから徐々に他の子とも話す機会もできたり、唯一の友達とその仲間のグループに入れてもらう時もあった。
だけど、この「入れてもらっている感」がずっとあり、心でつながっている人はいないように感じていた。私の過度な遠慮も要因の一つだと思う。つまりこの状況は自業自得だった。
「溶け込もうとしてる感」を見られたら恥ずかしい。裏で何か言われるかもしれない。そんな心配でいっぱいだった。

結局一人でお弁当を食べることが多くなり、クラスの中に居場所を見つけられなくなっていた。
それでも「別にこれでいい」「望んでこうしているんだ」と平静を装うことに必死だった。「友達いないかわいそうな奴」「溶け込もうとしてる痛い奴」と思われたくない一心だった。クラスのボス的な女の笑い声が、自分のことを笑っているように聞こえてならなかった。
実際そう思われていたかもしれないけれど、とにかく自分で気にしないように、気にしないようにしていた。現状を認めてしまったら、強気に戻れなくなりそうだったから。

卒業式で撮った写真を後から送ってもらった。その中に教室全体を引きで写した写真もあった。まばらに人も写っていたが、その中に、一人ポツンと自分の席のそばに突っ立って、不安そうな顔で周りを見ている私が写っていた。心の中で強がっていても、周りには結局こう映ってたんだ。そう最後に突きつけられた気がして、この1年を暗黒の記憶として閉じ込めておくことにした。

長く語ってしまったが(いつかこの経験を自分の外に出してみたかった)、私がいけなかったのは「諦め」「遠慮」「思考停止」
自分を出していけなかった。誰かに相談しようとする考えすらなかった。昔からの自信のなさゆえの考えと行動だけれど、この出来事でそれがもっと強化されてしまったように思う。

ただ、中学校なんて住んでいるところで決められて通うようなところだし、性格・考え・行動の合わない人だらけだし、自分のせいだけではない!と思いたい。
実際、自分で選んでいった高校・大学では似たような人が多かったし、本当に心がつながってると思える友達もできて、自分を出していけて(なおかつそれを面白いと受け入れられて)とても居心地がよかった。いつかこういう幸せな話も書こう。


先輩、後輩とのつきあい方

中高大と部活をやってきたので、必然的に先輩・後輩との関わりもあった。だがここまで読んでくださっている方には分かるかもしれないが、こんなコミュ障陰キャなのでここの関わり方も苦手だ。

先輩とは、比較的話せる(聞かれたことに答えるだけだった気もするが)。
が、後輩たちと仲良くなれたかと言えば後悔が残る。事務的な事しかできなかった。美術部ながらサブカルには当時は疎く、みんなが話しているものについていけないことが多かった。分からなかったらそれなに?とか聞けばよかったのに。呼ばれたら行って一緒にゲームしたりするけど、基本一人で絵を描いてた。

高校では打って変わって音楽系へ。ただここでも、仲良くなれたかというところには後悔が残る。
みんなで美術室でだらだらするのと違い、パートごとで部屋を分けていたため、学年・パートの違う先輩後輩とは壁があった。私の場合はパート内でもめっちゃ仲良くなるみたいな事はなく終わってしまった…。
音楽やっている人には共感してもらえるかもしれないが、楽器ごとにやっている人の性格って似るように思う。私の楽器は穏やかで静かな人が多い。そんななので?雑談など気軽に、自分から話しに行ったりができなかったし、あまりされることもなかった。本当はごはんとか行きたかった。
先輩も後輩も好きではあったけど、もっと構えずに話せる仲になりたかった。

そんな後悔を踏まえて大学では先輩と仲良くなろう!と意気込んだ。
……ものの、最初はうまく話せず撃沈した。

ただ、大学のサークルともなると中高の半強制的な部活ではないからなのか、関わりがラフな感じになったなと思う。そういうのが得意な人は先輩後輩関係なく飲み行ったりしていてすごいなと思うけど、私の目標は「雑談ができる仲」なので、3年もすればまぁまぁクリアできた(かかりすぎ)。

上手く話せるかが、人によることも分かってきた。相手が「自分に興味を持ってくれている」と分かる人、穏やかさ、会話の波長が合う人、など。
心を開ける度合いは、関わりの大きさもだけれど、人によって違う(当たり前だけど)。
そういう当たり前を範疇外にして、「全員とうまくやれないとダメだ」と思い込んでいたのだと思う。でもそんなことは誰にもできないのが当たり前なのだが、その意識もなかった私は「できない自分ダメなんだ…」となってしまっていたんだろうなと思う。
あとは、この年になってくると自分の趣味・こういう人間だというのが固まってきて、共通の趣味で盛り上がったりすることが、簡単にできるようには成長した。


バイト先という初めての人間関係

大学生になりアルバイトを始めた。大1の秋から始めたのだが、4月から始めている同学年の子、同じタイミングで入った高校生の子、もっと先に始めている同い年や下級生や……とにかくいろんな人がいた。
そして私はあまり仕事ができなかった。初めは誰でもそうだと割り切れれば良かったけれど、やっぱりダメだ…というよくない癖が出てしまって、ずっと自信がない。さすがに今は多少は自信をもってできることも増えたが。

「同い年なのに自分より仕事ができる」ということ、経験年数やシフトに入っている頻度、向き不向き等いろんな要素があるけれど、とにかく自分より職場での「先輩」には、いまだに敬語が抜けない。年齢より芸歴のお笑い界のような上下関係を自分に課してしまった。今までにない、この複雑な関係につまづいた。
せめて同級生にはタメ語でいきたかったけれど、切り替えるタイミングを失ったままだ。

そして、中学までと高大が違うと言ったように、バイトも誰でも入り放題な環境()のため、分類するなら中学側だと思う。実際、心のつながりは感じない。まあ友達作りにバイトしてるわけではないからいい。
ただ、バイトでの人付き合いは中学での逃げ癖を存分に発揮してしまい、辛かった時期もある。

どうしても苦手な人がいた。その人は同級生だが私よりも長くから働いていた。高圧的で、仕事も丁寧さよりスピード重視。「褒める所と言えば丁寧さ」という私とでは、明らかに折が合わない。そんななので、早々にその人に対し心をシャットアウトしてしまっていた。そんなうまくコミュニケーションが取れない私を下に見ていたに違いない。こっちも嫌いだったからいいんだけど。
その人がいると、普段はできることも緊張で変な力が入り、うまくパフォーマンスを発揮できない。その人とばかりシフトが被っていた時期は本当に辞めてやろうかと思っていた。

社会人になったら、いくら似たような人が多い環境とはいえ、合わない人、怖い人、嫌いな人とも仕事をしなければならないだろう。
そういう苦手な人と、どう付き合うべきか。

ここでの反省は、苦手なものにも歩み寄ることなく、心に壁を作ってしまったこと。ただでさえ人に心を開くのが苦手なのに、シャットアウトしたら本当に喋れなくなる。上のような緊張もしなくてはならない。つまり取るに足りない他人のせいで、私自身のパフォーマンスに支障を来すことになる。
そう考えるとムカつく話だが、私自身の一歩で自分の心の壁を低くできたはずだ。だから、もしそういう人に出会っても、まずはその人を知ろうとしてみる。意外に話の通じる部分があるかもしれない。歩み寄っても無理だったら、なんでこんなに嫌いなのか分析してみる。
そうすると、どっちにしろ、大きく怖く見えていたその人の姿が、意外と小さいことに気付けるはずだと思う。(自己啓発本や繊細さんの本を読み漁って得た考え方。)

バイトの苦手な人は私よりも1年早く社会に出たため、もうバイトは辞めた(やったー)が、最後まで仲良くなることはなかったため実践できなかった。社会に出てからこういう場面に出会ったら、この考えで乗り越えられるのか、試してみないといけない。


まとめ

今までの反省としては、
・「私は大人しい」「コミュニケーションできない」「つまらない人間」というネガティブな思い込み
・「全員とうまくやれないとダメだ」という極端な思い込み
そこから、
・諦めてしまう、遠慮してしまう癖
・苦手なものにも歩み寄ることなく、心に壁を作ってしまう

でもここを踏み出していければ、
・分からなかったら聞く、ごはん誘ってみるなど、自分から話しに行く
・壁を作らずに自分を出す
というふうに、後悔を昇華させていけるかもしれない。

思い込みはだんだんと薄れていっているように思う。色々な経験を通した自分での気づきや、ありのままの私を受け入れてくれる友達の存在で。
だけど、すごく傷ついたり、うまくやれずショックを受けたりすると、また簡単に元通りの暗い人間になってしまう。
それでもだんだんと、自分の一歩で自分を変えていけるんじゃないかと思えるようになってきた。
性格を変えるんじゃなくて、よくない思い込みを変える。これならできると、やっと気づけた。今なら、辛かったあの時期も無駄じゃないと思える。



いいなと思ったら応援しよう!