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ジュンク堂で立ち読みを

トルーマン・カポティ『ティファニーで朝食を』を読んだ。
こちらは新潮文庫出版で、村上春樹訳のものだ。2008年出版だが、どうやら新訳らしい。『ティファニーで朝食を』は1958年に出されていて映画化もされており、多くの人はそこでホリー・ゴライトリー役のオードリー・ヘップバーンの顔を思い浮かべるらしい。(私は知らなかったが。)

ここからはネタバレも含みそうだが、この本を読んでいてずっと考えていたのは「私にとってのティファニーはどこだろう。」ということだ。もちろんティファニーはブランドであるが、ホリーにとってそれは概念であり、居場所である。
「自分といろんなものごとがひとつになれる場所をみつけたとわかるまで、私はなんにも所有したくないの。(64頁)」
部屋のなかはまるで昨日引っ越してきたかのように、ざっくばらんに家具が配置されていて、床に投げ出されたスーツケースには常にすぐ出かけに行けるだけの衣服や用具が詰め込まれている。さんざん語り合ったあとに触ろうとしたら足元をスルリと抜けて、小窓からひょいと出て行ってしまう猫のように、ホリーは留まる場所を持たない。持とうとしない。
そんな彼女が「ティファニーみたいなところ」というような場所は私にとってはどんなところなんだろう。この本を読む一つの楽しみは、そんな場所を思い浮かべながら読むことだろうと思う。

ダンスパーティーが開かれるナイトクラブ。キュッキュッと音の響く、汗と熱の混じった体育館。風が肌を打つ、川沿いの芝生。ひとり考え事に没頭できる、窓際の勉強机、、等。

それは私にとっては、天井の高い、静かな音で満たされた本屋さんだった。

広島駅前にある福屋の10階のジュンク堂。今は京都で学生をしているが、広島に帰省するときにはいつも行っていた。
駅を降りたら、工事をしている所を避けながら地下道へ向かう。福屋は広島の有名百貨店で、地上から見上げるととても大きくて威圧感を感じるが、駅から繋がっている地下の入口だと恐れることなく入店できる。そのまま、エレベーターに直行して10階を押す。何かに守られながら上がった先には、私より背の少し高い本棚と細かく分野ごとに並べられた本が立ち現れる、、。まるでマジックのように、私だけの秘密の蔵書にたどり着いたように、それまでは息も忘れていたように、この本屋は私のティファニーであると感じる。

ジュンク堂のなかでも、この広島駅前店が特に好きな理由は天井が高いことだ。本棚を少し破って空間がぽっかり空いているので、本を探していてもなんだか息がしやすい。さらには、音が少し響くようになっているので(気のせいかもしれないが)、誰かの足音や声や、本を取り出したり収めたりする音がくっきりと聞こえてくる。コツンっと音が立ったと思うと、その音が床に落ちていくような。その音が、ここにきている人間はだれしも純粋な人であるような印象を私に与えている、ような気がする。屈託のない音には、屈託のない気持ちが零れ落ちる。

百貨店というまでだから、同階には喫茶店と美容院が並置してあるのがまた恐るべきところ。1つ設計を間違ったら、その3つは変にごった返してそれぞれの魅力の足を引っ張ると思う。でも、そのなかでも圧倒的に本屋が主役となってこのフロア一帯に広がっていて、あとの2つを受け入れるような、そんな空間としての百貨店本屋はおそらくこの福屋の規模じゃなければできないだろう。置かれている本の数、種類の豊富さは言うまでもない。

『ティファニーで朝食を』において、朝食は何を意味するのか。直接的には書いてないようであったし(読みが甘いだけだが)、いろいろ考えてみたがこれといった回答は見つかっていない。でも、ホリーにとってティファニーのような場所で食べる朝食はこの上なく幸せを感じるものであるはずだ。
私にとってそれは、ジュンク堂で新しいお供を探すために目についた本を手に取り、静かに立ち読みをする瞬間であると言えよう。

追記
今年の4月に、ジュンク堂広島駅前店は10階から6階に移動したらしい。泣。
でも、どうやら8階から10階に図書館ができるらしく、新しいティファニーが私を待っているのかもしれない。


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