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和多利月子「明治の男子は星の数ほど夢を見た」産学社


副題は「オスマン帝国皇帝のアートディレクター山田寅次郎」とある。著者の祖父なのだそうだが国交もなかった時代にトルコと日本の架け橋になった人物なのだそうだ。実業家、茶人、茶道宗猵流の第8世家元であるが、明治25年(1892年)にエルトゥルールル事件の義捐金を届けにトルコに渡って以来、日本とトルコの交流に深く関わった人物としても知られている。日露戦争前の日本がトルコを重要拠点とみていたこともあるが、何より寅次郎のバイタリティが多くの人の心を動かしたのは事実だ。彼が大事にしていた心がけは「人が考えないことをすること、物事には複数の考え方と方法論があること、人生を豊かに楽しむこと」であったらしい。家訓には「男子たるもの最低3ヶ国語を習得する」というものもあったというから面白い。幸田露伴とは飲み友達だったらしく、小説「書生商人」のモデルにもなった人物なのだそうだ。彼の業績として当時未知の国だったトルコ民族の習慣や町の様子を克明にスケッチした「土耳古書観」という本を出版したことがある(2016年に復刻版を出版)。本著は当時のトルコの様子が良くわかるものなのだそうでトルコと日本の交流史においては大変な価値のある書物だそうだ。ぜひ、読んでみたい。

あと、本著で知った人物、寅次郎の友人である建築史家の伊東忠太に興味をもった。彼の考え方で面白いのが「滑稽=悲劇を一瞬笑い飛ばすことの救い」なのだが、関東大震災後の復興工事で湯島聖堂や一橋大学兼松講堂の再建をする際、わざと妖怪の装飾を施すなど、破天荒な発想で物事に接したらしい。かといっていい加減な人ではない。日本初の建築史論文は法隆寺に関することだが、これを書き上げたのが伊東氏なのだ。彼が発想の基にしたのが「野帳」というメモ帳。絵つきの繊細な建築描写は日本の宝といっていいだろう。まだまだ知らないことだらけ!だから面白い。またこの2人をきっかけに世界をみていきたい。

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