オルテガ「大衆の反逆」ちくま文庫
実際には白水社の「オルテガ著作集」で全文をよんだ。以前から「一度は読んでおかんと」と思っていた一冊。オルテガは20世紀初頭に活躍した哲学者、教育者、ジャーナリストであるが、スペインではオルテガ左派、オルテガ右派がその後生じるほど影響力をもった人物だ。
この著作が書かれた背景には米西戦争に敗れ、スペインのプライドがずたずたに引き裂かれたこと、第一次世界大戦後、ナショナリズムやマルキシズムの勢いがましていたことがある。しかしこういったイデオロギーは大衆の知的閉鎖性の上に成り立っている。
20世紀は大衆の時代だが、この大衆が「お坊ちゃん化」してしまい、未来を苦しんで勝ち取ることを放棄してしまっている。だから国家の概念も過去の歴史や民族、言語といったファクターだけで線引をするというのは軽薄の極みである。(オルテガの定義によると「大衆の反逆」とは「新しい生を生み出してきたこと」であると同時に「人類の根本的な魂の閉鎖性、道徳的退廃」のことを指している)要するに文化的遺産と言われるものに安住し、まるでそれらが自分の所有物の如くふるまう怠慢な大衆が存在しているということである。こういう大衆に対して疑問を呈しているのがオルテガだ。
彼はこの著作の中で国民国家の定義を紹介しているが、「国民国家は日々の票決によって成立する」というフレーズは納得できた。彼の理想的な哲学者とはシーザーであり、その頃のローマ政治が理想の形だという。つまり、多様な民族、言語、思想をもった大衆を決して一つの形に強制することなく知恵と力をもって連帯をもつために努力し続ける国家を目指した点にシーザーの先見性があるのだという。オルテガは混沌を歓迎し、そこに挑み続ける生を良しとしている。
この考えに俺は賛成だ。多様性を認めるのは難しい。しかし、無理やり一つの形に押し込めた価値観や共同体には限られた力しか出せない。「身近に迫っている愚劣さから逃れようとする努力の中に英知がある」まさにそうなのだ。
何でもパターン化して線引きすることを好む「思考停止」の風潮があるが、この副作用は実に深刻だと俺は思っている。政治一つとってもそうだ。「社会保障の財源のために消費税は削減できません!」といいつつ、この数年で逆に社会保障の予算はどんどん減っているというファクトに一体何人の人が気づいているのだろうか?政治の堕落は民衆の堕落でもある。
オルテガの主張におれは「イエス!」といいたい。そのためにも国家の嘘を放置しないようにしていきたいと思う。