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ロバート・K・グリーンリーフ「サーバントであれ」英治出版

副題は「奉仕して導く、リーダーの生き方」。サーバントとは奉仕者のことであり、他の人々の役に立ちたいという心からの動機が最大の動機になっている人である。

しかし、サーバントであるかどうかは部下が判断する。部下が人として成長し、健康的に、自主的に生活しだし、自分もサーバントになろうという姿勢が生まれてきてはじめてサーバントリーダーということになる。当然管理職が威張っているような日本的プラミッド社会とは対極にあるものだ。

いま世界ではこういうリーダーが世界では求められているし、それがスタンダードになりつつある。要するにリーダー中心からチーム中心にシフトしており、それに成功しているところからイノベーションがおきているということなのだ。

現実的には会社丸ごとサーバントリーダーであることは稀で、一部のリーダーがサーバントであれば、そこから変化が生じるということだが、口で言うほど簡単ではない。

この考え方はヘッセの短編「東方巡礼」の中で、召使のレーオがいなくなると旅がとんでもない混乱に陥ったところからその存在の大きさに気づき、本物のリーダーであったことに気づく・・といったところから筆者がヒントを得たらしい。

「前に出て道を示す」という危険を冒すのもサーバントリーダーの特徴。サーバントにとっての説得は強制と対極なのだ。つまり、罰や制裁ではなく、自然に従っていくという「狭き門」を選ぶ。「誰かを傷つけなければ前に進めない」ではなく、「誰も傷つけずに変化はおこせる」という信念と覚悟があるかどうかが極めて重要なのだ。

シェークスピアのソネット94番冒頭に「人を傷つける力を持ちながら、誰一人傷つけない人」という下りがサーバントの真骨頂だと著者は説いている。かなり厳しい定義といえる。サーバントであるためにも大事なのがentheos(エンテオス=内なる神、創造性を呼び覚ます力、人を動かす力)。

俺はこの言葉をある年のモレスキンのトップページに書き込んだ。もちろんまだ遥か彼方にあるものだ。しかし、「人に対する豊かな視点」を忘れず、自分独自の可能性を開花させるために、組織を練習の場に利用させてもらうというステータスで仕事に向かえば、ストレスなんて皆無だろう。

俺の職場には明らかに理不尽な扱いを受けている人たちがいる。みんなを救うとかそんな大それたことではなく、俺は俺ができる範囲でサーバントの姿勢を貫いてこれから進んでいこうと思う。


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