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愉友時間

ゆうゆうの会(愉しい友の会)と名付けて作ったグループ
メンバーは8名、
構成は町内の熟女たち。
81歳から68歳までの仲間、

昭和の時代からこの地を知り尽くしてる75歳を中心に、新たに終の住処をこの地に求めた人も…含めて交流の場を開こうと発足したのが7年前。

交流の場

30年近く前に区画整理で街並みが整った🌇新興住宅地に生まれ変わった地。
生まれた時から75年住み続けてるメンバー二人を中心に、月2回お喋りが主で、お茶会を楽しんでる。

昭和の時代、私が若嫁だった頃(笑)
農村地域の家は、姑と嫁が暮らしていたので、若妻会というネーミングでそれぞれの家から一人づつ婦人会みたいな組織で始まったグループがあったね🙄
互いに立場がわかる者同士で集まる意義もあった時代。
もう、若妻と呼べる人はいなくなったけど笑笑

小さな田舎の集落で、ご近所で完結していた生活様式

向こう三軒両隣の気風が強かったので、冠婚葬祭時には必ず仕事を休んでも地域の住民は全員で協力していました。

亡くなったら近所の有志が通夜から葬儀、火葬場まで全て手配をする。
女性は煮炊きして参列者達の御斎を準備する!

同じ役割を共有してぺちゃくちゃお喋りが楽しく⁉️(故人を偲びながらも、たくさんの仲間と喋るのも仕事⁈)
一致団結💪していた時代、
時には、この味薄いよ!だれが作ったね⁉︎  なんて大先輩から叱咤されることも😥💦💦

日頃の仲良しは勿論だが、仲が悪くてもそれぞれに一堂に会して付き合いができていた。

もう、こんな行事も集まりも無くなってしまったけど。
時代に応じて、不易と流行は必至でしょう。

親しき仲にも礼儀

どんなに振興団地で街が新しく綺麗になっても、
昔からの付き合いの在所の人はイエの付き合いをしていたなぁ

付き合いは長い。
其々家に姑や舅、小姑がいた時代、
ある程度の距離を置いて近所付き合いをしていた。

だからこそ、土足でヅカヅカと踏み込むことのない、大人の付き合いができてたような気がしてる。

少し🤏距離を置いてるからこそ⁉️
今も延々と続いてる仲間?、
というか同士のグループだ。

サークルの内容は



何気ない日頃の話、差し障りのないテレビや新聞ネタ、、

全てに気の合う仲間ではなく、
家でボッチでいるより退屈せずにお喋りができる相手を求め、
しかし尖った人やコミュ力のない人はお断り❌
極端に言えば、
生存確認ができる間柄。
人の悪口は極力避けるけど、、、噂話もたまには面白い!
そんな間柄。

発足当時はカラオケでも🎤しようかと思い立って、街のカラオケボックスに足を運んだこともあるけど、
興味ない人が空気も読まずにしゃべりかけるので、ではお喋りを楽しもう!と優しい仲間が受け入れて今に至ってる。

幸か不幸かコロナ禍でマイクを持つこともやめた次第💦

でも、月二の交流の場は皆さん楽しみに来るので、公民館の一室で細々と続けてる😥

既成事実ができれば、こんな場でも喜ばれるのか?
最近は新人が2名して仲間に入れてくださいって😊
皆さん交流を求めてるのよねぇ👀

このメンバーで先日は紫陽花苑を愛でてきた

年に2回ほどランチを楽しもうと月イチ、ワンコインを集金して、行動半径を広げてます☺️⤴️


#仲間作り
#生存確認
#今日行く
#今日用
#ボッチにはなりたくない



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