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64歳で逝った兄のこと②
兄は私が結婚した二年後に、
仕事を通して知り合った女性と
困難を乗り越えて結婚した。
一つは田舎の長男だった兄が、
婚約者の家の養子になるということが条件。
三姉妹の1人と結婚することで養子縁組が条件でした。
代々続いた家で後継がいなくなるという事、当時はゆゆしき問題だと💦
実親と養子先の親が相談して、結論は後継ができた時点で改めて養子縁組しましょう!と。
だから兄夫婦は結婚当初は兄の姓で通してた。
実際に養子縁組したのはそれからなんと7年後だったなぁ💦
なかなか生まれなかった娘、そして見事に兄の子ども達も三姉妹!皮肉なもんやね、兄が選んだ養子という道があとで自分も後継を心配する立場になろうとは!
それにしても兄の連れ合いはよくできた人だった、
何でも兄の言うことを聞く
反対するのを見たことない。
私とは正反対の性格で
いつも穏やかな笑顔を絶やさない😅
よほどゆったりとした環境で育ったんだろう(笑)
仕事人間だった兄を支え
三姉妹を育てていた。
遅くに産んだ子ども達、なかでも
一番下を出産した後に
私に言ったこと(笑)
「何をしたと思いますか?
私は手鏡で髪の毛の白髪を抜いてました(笑)
だって子どもが入学する頃には
私は他の保護者とひとまわりも違うからね😅」
ウイットに富んだ生活をしていたなぁ😍
そんな兄に病気が見つかったのは定年前、当時退職したら大学の講師という道が控えてたので、
心配しないで第二の人生を楽しみにしてたろうに。
兄は企業の研究室にいたので研究職の間では一目置かれてたそうだ。
難病だった、宣告受けた時は奈落に落ちたようなショック!
まだ実親が居たので、
誤魔化しながら、、
幸いいつも会える距離ではなかったので年に数回行き来するだけでそれぞれの生活を確認できてればよかった。
さぞかし兄や奥さんの心痛は、如何許り(涙)
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必ず景色の良いSAで
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その道の専門医がいるという他県の大学病院にも転院薦められたけど、頑として拒否してたっけ、
家から離れたくないと(涙)
異常なくらい家族が好きで子供が好きで奥さんが好きだったもんねぇ
それでも7年の闘病生活、頑張ったね。
病名はジスト、ショーケンが戦って力尽きた病気と同じ😨🙏
大腸の外壁に腫瘍ができるんだって。
悪性か?じゃないかは、大きさで判断すると当時は聞いてたけど、
まだまだ未明の疾病だったのかな
入退院の繰り返し、最後のひと月はホスピスに転院した。
それからが私の活躍なんだ💪
この先は次にまた🖐️