二人の父のこと
父の日を前に、、
私には2人の父親がいた
ともに鬼籍にある人たちだが、
1人は実父78歳でこの世を去った。もう1人は義父、88歳で亡くなった。
二歳違うけど同じ誕生日
奇しくも2人とも同じ誕生日だった。
生まれた年は違うけど二歳ちがい。
実父は以前にも書いたが、実に個性的な人間、干支が猪だったゆえか
猪突猛進な人生を歩んだ人だった。
義父は実父よりも2つ年上
干支は酉年、
今思えば静かな人だった。
同じ誕生日なのに、全く正反対な
性格の持ち主だったなぁ。
2人とも家の跡継ぎではなく、
上に兄や姉がいる立場、多くの兄弟の中で育った人たち。
義父について語ろう
今日は主に義父のことを綴って
みます。
田舎の4男坊として生まれ、
戦争に出征して終戦を迎えました。
実は根っからの臆病で
(ホントはこれが大正解な生き方)
終戦後に就くべき職業は、海軍にいたので海上保安庁だったらしいが、もう戦争は怖くてその職に就かなかったと聞く。
彼は実家の兄たち家族の家に
しばらく居候をしていたらしい。
当時の家は戸主がいて、その家族。
戸主の兄弟も住む大世帯だったらしく、食事も個別の盆台に器を載せて食事をするという映画で見るような〇〇家だったんだろう🙄
やがて、民間の会社に職を得て
お見合いで義母と結婚したと聞く。
4男坊だから、身軽な義父は義母の
実家のそばに家を建て、、養子みたいな存在で、人生を過ごしてきた。
ただ義父の親戚から跡継ぎのいない本家の養子にと。
金銀の財産はないけれど、先祖の仏様だけ譲られた!
戸籍上は同じ姓だけど、〇〇家の総本家の跡取りとなったらしい。
だからご先祖様の顔を知らないのに仏壇を毎日拝まなきゃいかん!と
義母が愚痴ってたのを知ってる😅💦
いささか人の良い?というか
不思議な跡取りさんなんだ。
ここまで書けば自己主張のない
都合の良い扱われ方をされてた人
なんだなぁと思っていた。
もちろん同居して義父が亡くなるまで一緒にいたので、
彼の生き方など、実父と全然違う人だなぁと、、、、威厳のない無気力な義父を軽く扱ってたのは正直
私の心にあるな🙄🙏
しかし夫に言わせると非常に気性の激しい人だったらしい。
私が嫁いでからはそういう面を決して見せられなかったので、まず信じられないんだが…若い頃は父親が帰ってくる前に、部屋が散らかってたら、母親からお父さんが帰ってくるから!と言うと、夫たちはバタバタと片付けなきゃいけないと😅💦
しかし人に対する接し方は素晴らしく⭐️義母が婦人会の旅行で遅くなったり、泊まりがけで家を空けても
義母が戻ってきたら、あぁ楽しかったかい?とすごく気持ちよく迎え入れていた義父の姿しか思い出さない。
優しい人だったなぁ🙏
生前は曽孫3人をみて子守してくれた🩷孫たちをその腕に抱いて幸せそうにしていた。
どの写真を見てもうれしそうに幸せそうに写ってる。
俺は父親から何も教わった事は無い俺は何でも自分で考えて行動しなきゃいけなかった。
母親がいろんな面で社会的にも外に出て付き合いがあったので、
俺は父親を半分ないがしろにしてたところもあると、
義父が亡くなって、夫がしみじみと話したことが忘れられない。
こんなに同じ誕生日でも、性格違うなぁとおおごとな事があっても自分の意見も言わぬ義父に驚いた。
そんな義父の人生だった。
誰も知らない
でも、本当はどんな人生を送りたかったんだろう?
義父の遺品?のトランクに仕舞ってあった物
※こどもたちの通信簿
※プロ野球カード
※プロ野球選手のサイン
野球が好きだったんだ😅初めて知った!
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