全部漢字だ。最高裁判所裁判官国民審査


 衆議院選挙。
昨日、期日前投票を済ませて来た。

 『投票用紙の書き心地と、質感が好き。』と言う方をお見かけするが、
私はあの用紙に記入すると、下手くそな字がさらにヘッタクソに思えて苦手だ。
小学生から進化していない気がする。

 衆議院選挙とセット【最高裁判所裁判官国民審査】まさかの全部漢字。
恥ずかしながら私は【裁判官のやつ】ぐらいで正式名称を覚えてすらいなかった。
 他人事のように思っていた実、恐ろしかったのだ。
この【裁判官のやつ】は中学時代、公民の授業で初めて触れたのだと思う。
 公民を担当していた先生は、【裁判官のやつ】をひと通り説明した後に『けれど、×を付けるのは如何なものかと思う。我々が想像出来ないほどの努力を重ねて、今の地位を築いてきた方なのだ。そして彼らにも家庭や暮らしがある。』
 おそらく先生はふざけたい年頃の我々が、ノリで「コイツ落としたれ。」なんて思わないように釘を刺したのだと思う。
先生、多感なお年頃相手は大変でしたよね。

 その釘を、勝手に呪いにしてしまっていた。
裁判官に×を付けるのは、その人の今後の人生を破滅させてしまう。しかも、雲の上の賢い方を!こっわ!
選挙権を得て、何回も投票所に足を運んでいても後ろめたさを感じ、【裁判官のやつ】には何かを書き込むどころか、薄目で見ていた気がする。

 今回、国民審査を受けられる6名の方のプロフィールや、裁判の判断など初めて確認した。
正直、大谷翔平さんのくだりはどうでもええ…と思ったが。

 きっかけは、前期の朝ドラ【虎に翼】
大変ミーハーで申し訳ない。
判事といえど葛藤があり、人間であること。思いもしなかった。
人間だもの。どんな高潔な人でも好き嫌いはある。また賢い人たちだから、わからないように気づかれないように、あるところへ有利になるようなことだってできると思う。
いつのまにか、恐ろしいところへ流されないように、私たちはきちんと見ていないといけないな。
凡人だって、平和に暮らしたいのだ。
遅ればせながら、凡人めは平和のための責任を放棄してはいけないと気づいた次第でございます。


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