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学校 先生 ごみ収集車

自分の可能性を信じてどのくらいの時間が経っただろうか?眩しいと予想していた未来は思ったよりも灰色だった。
今日は可燃ゴミの日。昨夜のうちにゴミは出した。過去に書きなぐった文章とも物語とも取れない夢の残骸は45ℓのゴミ袋に詰め込んでしまった。微睡みながらエンジン音と、ゴミが飲み込まれていく音に自分は夢を捨てたのだと改めて思う。私が描いた夢は、生ゴミなんかと一緒にゴミ収集車に飲まれて消えた。しかし、そこに悲しみを感じることはなく、ただ代わり映えのない日々が続くのだと興冷める。

希望に満ち溢れ、将来の夢を友人と語り合ったのはいつの事だったろうか?あの頃の私はまだ昨晩捨てた夢は夢ではなく、「何かになりたい」という漠然とした夢があった。そういう時期だから、疲れた顔で授業を受持つ先生方の覇気の無さを不思議に思った。大人達はきっと皆が夢を叶えて、目標を叶える為に生きている。充実した仕事をして趣味を持ち、当然のように運命の相手と出会って子供を産んで家庭を持ち、「今日もいい日だった」そう言って一日を終えていくのだと思っていた。

ある日学校が終わり自転車置き場に向かう途中で、仲の良い先生に出会って話をした。私は自分の夢や希望、大人達の生き方、今後の生き方について喜々として語る。先生は何も言わず、疲れてこけた頬と対照的に、口角を緩く上げながら私の話を聞いてくれた。うなずく先生からは大人の香りがした。その正体が香水なのか、加齢臭なのか、タバコの香りだったのかは今ではもうわからない。何も言わずに笑顔を向けてくれたあの人は今何をしているのだろう。

「夢や希望があるのはいい。ただあなたのこれからはそれだけじゃない。どんな時でも前を向いて生きなさい。」

今では古くなったと感じる言い回しと、本質を伝えてくれない言葉足らずなのに、くすんだ笑顔を向けてくれる先生がすきだった。
その言葉を聞いたときは、なぜそんな事を言うのだろうと思ったが、どうやら「今」が『どんな時でも前を向いていく』時らしい。ゴミ収集車が持って行った私の夢はそのうちそこら辺のゴミと一緒に焼かれて消えるだろう。それがどうした。私は私の過去を胸に抱きしめて、そっと掌と掌で包み込んで前を向いて生きていこう。子供の頃に描いていた将来とは全く違う。それでも生きていく。腕に力をこめて体を起こしカーテンをひく。

今日は、天気が良いらしい。

終わり

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