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ストレートを捨てた156キロ投手木澤尚文(東京ヤクルトスワローズ)〜林卓史著「球速の正体」〜(2024.09.18)

今回紹介したいのは書籍「球速の正体」ではない。同書で紹介されているプロ野球選手、木澤尚文(東京ヤクルトスワローズ)のプロとして生き残りをかけた必死な姿を記していきたい。

同書は、今年4月、読売巨人U15ジュニアユースの投手コーチに就任した林卓史氏によって昨年上梓されたもので、いわゆる投手の"進化論”的な内容になっている。

データトラッキング機器「ラプソード」の徹底活用法から、プロ・アマにおける最新データの活用事情、プロ投手150人のタイプ分類まで、昨今の投高打低を演出しているとも思える「投球分析」「データ分析」を詳細に論じている。

中でも、最終章「ストレートを捨てた156キロ投手」は、「野球を観る」者には最も読み応えがあった。

著者の林氏が慶応大学助監督時代の2年間、指導した木澤にインタビューをする形式で展開されており、木澤がプロ入り前後から2年目の22年シーズンまでの自身の投球を振り返っている。

そこでは、球質改善秘話が明らかにされていて、プロ野球の厳しさ難しさを素人に叩き込むには十分な内容だった。

「150キロが出ても、このボールでは通用しない」

木澤は入団2年目の2022年シーズンに9勝を上げ「ドラ1」の面目を保ったものの、ルーキー時代はフェニックスリーグ5イニングで15点取られるなど挫折感を味わい続けた。

ー自分のボールがプロでは簡単に弾き返されるのはなぜかー

自身に問うたとき、拠り所は計測データだった。

木澤は「大学時代よりも回転効率が下がり、ストレートの伸びやシュート量が下がっている」ことを日頃の計測作業を通じて突き止める。

大学時代は100%だったストレート回転効率が、プロ入り後70〜80%に低下しカット気味の球質になっていた。

大学4年の秋のシーズン終了からプロ入りまでの期間に「もっと良くしたい」という思いからフォームを試行錯誤していく中で、変質してしまったのだ。

球質改善への格闘の始まり

その後木澤は、空振りが取れるようストレートの回転率を100%に近づけようと様々な取り組みをしていった。

「ラプソード」の活用はもちろん、ハイスピードカメラを使ってリリースも細かく確認しながら回転効率を上げる取り組みを続けた。

結果的に、秋に効果が現れた。

しかし、回転効率は100%とほぼ元の数値まで戻ったものの、結果が伴わず打者に嫌がれる特徴を出すことができないことを悟る。

そして、自分のストレートでは「1軍レベルの投手よりストレートに10センチ以上伸びがない」との結論に至る。

一軍のトップレベルに到底追いつけないことを知った木澤は、ストレートそのものへのアプローチを考え直すようになっていく。

「ピッチングは力のあるストレートが基本」という投手の定説と距離を取ること、最速156キロを計測したストレートへのこだわりを封印することを決断したのだ。

「ストレートで打者の予想を上回るボールが投げられないのであれば投げるメリットがない」と捉え、プロで生き残る手段として、自分が欠点と考えていたシュート回転の戦略的活用に活路を見出していった。

続く一進一退

こうして木澤は「ツーシームファストボール」を投球の軸に据え窮地を脱していくのだが、入団3年目、そして4年目の今季の成績を見る限り、一進一退が続いている。

今季は被本塁打率が悪化するなど、必ずしも「突き抜けた」とは言い難い。

投球内容を見ても苦闘ぶりが伺える。

「ツーシームをストレートの代用に」と期した木澤だったが、2年目から4年目まで、ツーシームの平均球速こそ151.5、151.3、150.8と「大台超え」は実現しているものの、投球比率は変化している。

2年目の61.6%を上限に、その後は52.2%、50.9%と低下しているのだ。

今季はここまでカーブの比率を前年までの5.7%から10.1%まで高め打者を幻惑することを試みている印象を受ける。
(データはすべてDELTA「1.02」*4年目の今季の数字はいずれも9月16日時点)

「ここで生きていく」と焦点を定めたツーシームではあったが、現状、勝負球が1球種だけではブルペンの柱となることは、素人目線でもなかなか難しいように思える。

それゆえ、木澤は今後も測定データを睨みながら、さらなる飛躍を求めて格闘し続けていくことになるのだろう。

「球速こそ正義」は本当か?

昨今、プロ・アマ問わず「球速こそ正義」とする風潮が年々、高まっているが、木澤のケースからも分かるように、例え「150キロ超え」をクリアしたとしても、NPBは成功を約束してくれない。

他球団を見ても、球速が向上しても「くすぶっている」投手は少なくない。逆に、150キロが出ずともチームの柱として君臨する投手もいる。

投手の覚醒には、球速の他に上下、左右の回転量や回転効率、ジャイロ角度、リリース位置などがフルセットで関係しているので、ファンが思っているほど、ことは単純ではないことは抑えておきたい。

ドラフト候補の投手紹介に頻繁に用いられる「最速◯◯◯キロ」は、あくまで参考記録程度に心に留めたほうがよい。

データリテラシーの高さと投手のパフォーマンスの関係

"成長"すら容易ではない世界で、木澤はなんとか窮地を脱したが、それには自身が述懐しているように「大学時代からトラックマンやラプソードに接してデータとの親和性が高かったこと」と無縁ではないだろう。

また自身のデータリテラシーの高さにも言及しているが、投手のパフォーマンスとの相関性に関して聞かれると「関係があるような気がしている」と、あくまでも控え目な姿勢を貫いている。

この点は、昨今のNPB選手のトレーニングの充実を鑑みるに、今後、いろいろな方面から明らかになっていくだろう。

そして、データに無頓着な投手との格差が顕在化していくにちがいない。野球界におけるデータ分析の広まりは「野球を書く」人たちにとっても、魅力的な題材となっていくのではないだろうか。

データ分析の進展が投手にもたらすもの

昭和や平成の大投手たちは、天性の体力とセンスのみで、それこそ最短、最速の右肩上がりでのし上がっていったのだろう。

それに対して令和は、テクノロジーの進化やデータ分析の進展により、木澤の球質改善のケースに見られるように、意識次第ではあるものの「軌道修正」が容易になっている。

「大器晩成」「復活」等、様々な成長軌道、活躍の可能性が高まっている点では、チャンスの多い良き時代といえるかもしれない。

そうであるなら、私たちファンは自分都合で選手の可能性を排除しないことが賢明と思う。

2021年ドラフトにおいて、高校BIG3と称された森木(阪神)小園(DeNA)風間(ソフトバンク)の3投手は、入団から3年経った今、総じて球速に限っては観るべき点は少ない。

しかし、球速ではない領域で爪を研いでいるのかもしれない。彼らの将来を現時点の球速表示だけで結論づけるのはさすがに早計だろう。

彼らのデータリテラシーの程は知る由もないが、縁あって推しのチームに入団した選手がもがき苦しんでいるのであれば、ファンは長い目で見て、温かな視線を送ってあげたいものだ。

木澤の格闘を追体験した者であれば、プロ野球選手の多くは「仕事がなくなるかもしれない」恐怖と戦っていることが容易に想像がつく。プロ野球は実に過酷な世界なのだ。

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