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謎多き「配球」。ファンはどこまで"核心"に迫れるか。梨田昌孝・伊東勤・西山秀二・野口寿浩・鶴岡慎也共著『捕手論。』

プロ野球観戦において、投打の技術論とならんで捕手の配球(リード)はファンには敷居の高いテーマだろう。

それゆえ、勝敗を決する等の重要な局面の配球はどうしても解説者の力が必要となる。そんなとき頼りになるのは、俄然、捕手出身の解説者だ。

今回紹介する「捕手論。」は、野球解説者としておなじみ梨田昌孝、伊東勤、西山秀一、野口寿浩、鶴岡慎也といった"レジェンド捕手”たちによる共著。

副題に「セ、パ、昭和、平成、令和の名捕手が語りつくす」とあるように"歴戦の猛者”が「リード(配球)」「キャッチング」「ブロッキング」「スローイング」そして「バッティング」の5要素についての持論を語る、いわゆる「捕手オムニバス」の形式をとる稀有な技術書だ。

技術書といえ本書は「中学生からプロまで活用できる実技編」と銘打っている。

それゆえ焦点を当てている配球に関しても「ストライクゾーン分割表」を用いる等、各氏の思考のエッセンスを噛み砕いて伝える工夫が各所に施されているため堅苦しさはなく、読者を選ばない。

とても読み易い構成になっており、本書は野球ファンに配球理解を促す「参考書」ともなる価値ある一冊だ。

「捕手論は古田、谷繁、里崎だけではない」

本書の取材構成を担った飯塚哲司氏の心の自負が聞こえてきそうな本書だが、読み物としても面白い。

レジェンドたちそれぞれのパートに、現役時代のエピソードや令和の今、捕手について思うことなど、コラム的要素が盛り込まれていて読者を最後まで飽きさせない。

個人的に印象に残った項を5つ上げると以下のようになる。

梨田氏「左の江夏、阿波野、木田勇の『外角低め』」
伊東氏「松井秀喜には『内角高め』、イチローには『打ち損じ』」

西山氏「大谷翔平と勝負するなら」
野口氏「ストライクゾーン4分割の投手」
鶴岡氏「『天才打者』中村剛也、内川」

それぞれがコンパクトな件ながら明解に語られており、さらなる深掘りを欲する思いに駆られた。

「常に、『対角線』のリードを描く」

ここから、本書の主題ともいうべく配球に関するレジェンドたちの持論を紹介したい。

名捕手にして近鉄と日本ハムの監督としてリーグ優勝の経験をもつ梨田氏。「リードにセオリーはあるが、絶対的なものはない」と言われる中、限りなく絶対的に近い「定義」があると考えているという。

「初球にストライクを取る」ことにこだわりをもち、万人の傾向として、私たちファンがよく知る以下の「オーソドックス」なリードを示している。

常に「対角線」のリードを頭に描き、例えば右打者なら「内角高めに速い球」を見せながら「外角低めの遅い球」で勝負する(一部、ブログ作者修正)


先発の残像意識付け、抑えの駆け引き

西武ライオンズの黄金期形成に貢献した伊東氏は、「先発の残像意識づけ」、「抑えの駆け引き」を持論の一つとして示した。

先発投手に一打席目、二打席目に内角攻めを行い、「今日は内角攻めが多い」との意識を打者に抱かせたまま、3打席目、二番手投手に早い段階で内角球から入らせれば、「また内角攻めか」の打者心理の裏をかけるという。「もう内角は終了」からの「外角勝負」という算段だ。

そして抑え投手の場合が面白い。

「打たれたら悔いが残るので、決め球を連投する」という打者の心理を突いて、「決め球をいかに使わないで抑えていくか」これがプロの世界の「駆け引き」なのだそうだ。

「見えない打者の心理を見る」

「古田全盛時代」に二度のゴールデングラブを獲得した西山氏は、「見えない打者の心理を見る」ことができるのが一流捕手、だという。以下のマスク越しの捕手心理は実にスリリングだ。

捕手が「打者の意識が内角高めに80%あると"見た"とする。ならば「意識20%の外角低目」でストライクを稼げばいい。そうすれば内角高めの意識が60%ぐらいに落ちる。もし安全な逆玉で球が浮いてもファウルになるかもしれない。

だが、まだ危険だ。ならば「外角低目」に投げさせれば、「内角高め40%」「外角低目60%」に注意力は分散される。まだ内角に意識があると思えばもう1球、外角低目をついてもいい。

内角高めの意識が80%から40%に下がれば、投球についてきても、詰まらせることができる。バットの真芯でとらえて安打にするまでには至らない。


西山氏は"見えない"打者心理を読み、臨機応変に攻めていくのが自分のリードだという。立浪和義中日前監督が西山氏をバッテリーコーチに招聘した理由「現役時代に思ってもいない配球をされた」を思い出した。

「球種の数だけ決め球がある」

現役時代「史上最強二番手捕手」の評価を得た野口氏は、「12種類のカウントごとに決まった球種を投げさせない」よう努めたという。

さらに「極端な話、初球から3ボール2ストライクまで、全球特殊球のフォークを投げさせてもいい」と話しており、自らのリードの傾向や癖を消すことに腐心したことが伝わってくる。

また、伊東氏が示した「駆け引き」と同様のことも持論として披露している。

「打者を打ち取るのに、その投手の決め球を使わなくてもいい。」「どんな球種が来るのがわからないのが究極なリードの形」だと述べている。これらはまさに「球種の数だけ決め球がある」との考えが土台となっている。

「ストレートをどこで使うか」

日本ハム時代ダルビッシュ投手から絶大な信頼を得た鶴岡氏のリードの信条は「ストレートの使い方」にあるという。

ストレートの比率ではない。変化球をよりいかすために、ストレートの効果的な使い道に頭を使ったそうだ。

打者1巡目は、投手の投球に力があるので、ストレートを待たれていても敢えてストレートを投げさせる。安打を打たれても仕方ないと割り切るのだ。

なぜなら最初から変化球を多く投げていて、いざストレートで押したい場面で、投手に余力がなくなっていると、ストレートがちょうどいい球速になって痛打を浴びる。
だから、ストレートに勢いがあるうちに、打者にストレートを意識させておくわけだ。


伊東氏の「先発の残像」に類する持論だが、たしかに私たちファンは「先発投手のストレート多め」の傾向はイメージとしてもっている。このように改めて言語化されると「勝負の綾」としての配球の重要さを思い知らされる。

「リードのよし悪しは結果論にすぎない」

本書を通じてレジェンドたちの配球に関する引き出しのいくつかを見てきたが、配球は捕手に求められるスキルの中で最も難易度が高い。そして「正解はない」などと棚に上げられることもあるだけに実に厄介だ。

人気野球解説者の里崎氏は自身の動画チャンネルやスポーツ誌などで「リードのよし悪しは結果論にすぎない」と力説する。

それに対してファンに反論の余地はない。

確かに、推しを敗戦に追いやった捕手の配球を"断罪”する向きは少なくない。

先のプレミア12でも、侍JAPANが劣勢に立たされるやその要因を捕手に責任転嫁するかのように「坂倉のリード」「古賀のリード」なるワードが忽然と現れた。シーズン中の捕手の配球批判も総じてこのような感じで発生する。

また、野球解説者も容赦ない。

以下のNumber(1108.「日本シリーズ第6戦の詳細解説)における権藤博氏の解説を読むと、侍JAPANの正捕手を担ったソフトバンク甲斐拓也がまるで経験が浅い若手捕手と見紛うかのような内容となっている。

両チームの命運を分けたのは、追いつめられた時の「攻め方」の差だった。日本一に王手をかけられたソフトバンクは先発の有原が本来の状態ではなかった。立ち上がりからインコースに投げる球が引っかかってボールになり、投げる球がフォークなど変化球しかなくなっていった。「負けたらいかん」という気負いもあっただろう。甲斐のリードが変化球に偏っていったのだ。

その綻びは早くも2回に出た。先頭の筒香に打たれたバックスクリーン右への先制ホームランはチェンジアップだった。1死後に連打された戸柱にはカットボール、森敬斗にはカーブをとらえられた。変化球が逃げとは言わないが、直球系でインコースを突けない配球になってしまっていた。そして、2死二、三塁になって、ようやく桑原に対してインコースに2球続けたが、ツーシームをレフト前に打たれた。有原の不調もあるが、真っすぐを打たれたら変化球を投げ、変化球を打たれたら真っすぐを投げるといった「追っかけリード」になり、全体的に後手に回ってしまった。

第1、2戦を連敗してピンチに陥ったDeNAとは対照的だった。シリーズ全6戦を通して戦いを振り返ると、潮目が変わったのは第3戦だ。先発の東はシーズンとは違って真っすぐを多投し、ソフトバンク打線を踏み込めなくさせていた。DeNAはその後も先発陣を中心に真っすぐで攻めて盛り返していった。かたや、ソフトバンクはこの日、変化球でかわしにいって敗れた。投手はあくまで真っすぐがメーンになる。あれほど強かったはずのソフトバンクが大量失点してしまった。攻め方、リードの難しさをあらためて感じさせられた。


「1試合ダメだったら失格の烙印を押される」

捕手の因果な役割の程を決定的に示しているのが、梅野隆太郎(阪神)のコメントだ。

梅野はNumberにて、今季、CS敗退が決まった試合を以下のように振り返った。

「それはもう……あの瞬間は自分自身へのイラ立ちが頂点に達しました。捕手って、それまでどれだけ頑張っていても、1試合ダメだったら失敗の烙印を押される仕事なので。それが集大成となるかもしれない日に訪れてしまったわけですから」
(Number.1110[深層ドキュメント]岡田タイガース、最後の日)


この試合、梅野は髙橋遥人とバッテリーを組み序盤の2回表に4点を取られ、その裏の自らの打席終了後に坂本誠志郎にマスクを譲ることとなった。

SNSではこれを「懲罰交代」とし何かと騒がしかったが何より、岡田監督の試合後の梅野へのコメントもまた辛辣この上なかった。

普通やったら使わんけど。最後やから。昨日もそうやけど、なあ。普通やったら梅野使わん。来年のためやったら。同じことばっかり。最後まで。初球ばっかり』〜デイリー(10/13(日) 20:12配信)〜

進むかファンの配球理解

「正解はない」「結果論に過ぎない」などといわれることもあるが、配球は原理原則として「状況による配球」「投手中心の配球」「バッター中心の配球」を踏まえて考察される。

上述の甲斐や梅野の両捕手が配球の原理原則を知らない訳はない。

しかし結果が伴わなければ、ファンからそして解説者から、ひいては自軍の指揮官からも疑問を呈され批判をダイレクトに受けることになるのは前述した通り。やりがいを加味しても捕手とはなんとも厳しいポジションだ。

配球は機密要素が高いこともあり、ファンには当事者間の「ホンネ」は見えにくい。それゆえ、解説者などの評論を通じて、また監督の試合後のコメント及びその後の起用法を見て、当該シーンの配球の是非、捕手評価を判断するしかない。

個人的には、配球の世界観を雄弁に語るのは、表にでてこない、ファンや解説者が知り得ない「ブラックホール」の方だと考えている。スコアラーの優劣など、外野には見えないことがたくさんあるに違いないと思うからだ。

そうしたことに少しでも考えが及べば、安直な捕手批判は自制できると思うのだが、偏愛は時に暴走する。推しを愛するがゆえ「タヒね!」などの誹謗中傷どころではすまない書き込みが誘発されてしまう。

残念ながら、捕手の配球は一部ファンの「恨み節掃き溜め案件」になっているように映る。

穏やかな視線で野球を深く観戦するために、自分も含めファンは捕手の力量に関する目を養いたい。結果論ではなく配球の根拠の妥当性に迫り「知り得ないことを知る」ことも大きな進歩となる。捕手への敬意も芽生えてこよう。

本書「捕手論。」はそのための一助になるかもしれない。

菅野智之や東克樹、大竹耕太郎は試合後のヒーローインタビューで惜しみなくそれぞれの相棒に対して称賛の言葉を贈る。

ファンの配球理解が進み、ヒーロー捕手に対して「いいところを引き出してくれた」と勝利投手の代弁をする「つぶやき」でSNSが埋め尽くされる日は果たしてやってくるだろうか。

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