94〜96年、読売巨人軍「なにかと騒がしかった」時の記憶/中溝康隆著『巨人軍VS.落合博満』(2024.10.30)
本書は"死亡遊戯”こと中溝康隆氏によるノンフィクションで、2023年8月から2024年6月までNumberに連載されたものが加筆修正を経て、今月上梓された。
著者は94年〜96年、落合博満がFAを通じて読売巨人軍に入団した時から退団までの落合の"歯に衣着せぬ”発言を当時の出版物、スポーツ紙、週刊誌を幅広く渉猟し抽出。それらを自身のセンスで接続し「オレ流」ストーリーを巧みに構成している。
個人的にもっとも思い出深いできごと、落合移籍1年目、長嶋茂雄監督が"国民的行事”と銘打った94年10月8日の中日戦も「落合が泣いた日」と括られしっかりと描かれている。
この試合後、落合がチームメイトと祝宴を上げる様子が当時のスポーツニュースで流れており、いちプロ野球ファンには「巨人の一員となった」ように映った
しかし、著者にいわせれば「その後もオレ流は、決して巨人と同化することはなかったー。」
本書は一貫してこのような体で進んでいく。
「40歳落合博満は誰と戦っていたのか」と刺激的なテーマを中心に据え、まるで楔を打つように、VS.原辰徳、VS松井秀喜、VS清原和博という「ビッグネーム」との対立構造を戦略的に架構させている点が、読者の興味を引き付ける要素となっている。
また本書は、80年代から90年代半ばまでの当時のメディア報道に加え、落合が自身の巨人時代の経験を振り返った著書『激闘と挑戦(小学館)』などからも多くの引用を行っている。
落合発言の「エビデンス」をしっかり確保することで、単なるエンタメコンテンツにとどまらせず、重厚なノンフィクションとしての側面を持たせている。
80年代〜90年代のメディアと落合博満
本書を読むと当時のメディアの勢いのほどがよく分かる。個人で振り返っても、現在の文春のようにプロ野球は複数の週刊誌の見出しを頻繁に飾っていた記憶がある。
落合に関して言えば、ロッテ在籍の85年と86年、2年連続で三冠王を獲得した頃から、個人主義を貫く「オレ流」が格好の"ネタ”になっていたように思う。
本書によれば、その頃落合は、シーズンオフに週刊誌に連載をもち「"巨人の時代”なんてもはや過去のもんだね」と口撃していたらしい。
それだけでは飽き足らず、当時、頻繁に誌上を賑わしていた自身の巨人へのトレード話についても以下のように”盟主批判”を展開していたという。
「弱い、優勝できないジャイアンツだからそういう話が出るわけで、迷惑ついでにいわせてもらうと、いまのジャイアンツの選手とだったら、1対5でも割合わんよ。オレはマジそう思っているし、彼らとは、それぐらい野球に取り組む姿勢が違うってことなんだよ」
(週刊宝石1985年12月13日号)
また、スポーツ紙の一面で「原放出、落合獲得へ」と派手に一面が飾られたときは、以下のような調子で答えていたと本書にはある。
「原とオレで釣り合うかって?そんなこと、オレの口からいえると思う?(ニヤリ)」(週刊現代1986年11月8日号)
こうした"ノリ"は、無論、巨人移籍時も勢いを失うことはなく、本書は一連の落合ネタを積極的に拾うことで"落合包囲網"を見事に演出している。
「何でもカネ、カネにチーム内から批判が 巨人落合博満『即席化けの皮』が剥がれた後」
(週間現代1994年2月26日号)
「落合・松井・槇原は巨人の優勝をダメにする”V逸トリオ”だ」
(週間現代1994年3月5日号)
「落合VSマスコミ、一茂VS張本...巨人キャンプの一触即発!」
(週間宝石1994年3月10日号)
VS.ナベツネ
落合との様々な対立構造を作り出している本書だが、その白眉は、退団に向かっての96年シーズンオフ、落合と巨人軍フロントとの亀裂に関しての項だ。まさにタイトル「巨人軍VS.落合」に相応しい。
FAでの清原和博獲得を模索するフロントと、「本気で自分を追い出そうとしている」とフロントに不信感を募らせる落合。
著者が「巨人軍に対して反撃に出た」とする箇所各所は、事実を断片的に覚えているものにもノンフィクションの醍醐味を感じさせるに十分な内容となっている。
「(FAで)来るときはさんざんいいことを言っておいて、手のひらを返したようになるんだから。おかしなもんだよな。最初はクビで次は残留だからな。バカにされたもんだ!」
「このままだと(清原は)阪神に行っちゃうぞ。でも結局、あいつは巨人と縁がないんじゃないのかな。」
「今回の問題は(フロントの)責任問題につながるんじゃないの。球団のだれかのクビが飛ぶだろう」
〜(日刊スポーツ1996年11月17日付)〜
本書によれば、当時、落合は複数年契約の要求が受け入れられない場合は移籍を示唆し、長嶋監督と会うことも「言い訳は聞きたくない」と拒否をしたという。それに対して、深谷球団代表も「常識で分かるでしょう」と不快感を露に、とある。
自身の契約問題に清原のFA動向も相まって、落合とフロントの関係が抜き差しならない状態になっていたことがよく分かる。
その後、巨人フロントは清原とのFA交渉を進め、落合には「打撃兼任コーチ」の肩書を与えるなど"三方よし"の姿勢を示す。
それに対し落合も一度は態度を軟化したように思えたが、それまでの落合のフロントへの糾弾を良しとしないナベツネこと渡辺恒雄(社長のちオーナー)の登場で"落合VSフロント”は終幕を迎える。
「(落合は)おしゃべりがすぎたな。おれは(実母の)通夜の最中に(落合の自宅に)『連絡をくれ』と(留守番電話に)連絡先まで伝えたんだ。それが今日に至るまで連絡もない。これは礼儀正しい態度じゃないだろう。清原を利用するような発言はいかん。若い青年をダシにしちゃいかん。フロントのクビが飛ぶとか余計なお世話。おれが決めること。あれだけしゃべって、本人がどう結末をつけるか。取り消してもらわないとな」(日刊スポーツ1996年11月26日付)
最終的に、落合は「あこがれの人」長嶋茂雄から「残ってくれ」の声を聞くことができなかった。
遠回しに「来年は控え」と伝えてきたことから自ら身を引くことを決め、異例とも言える共同退団会見を最後に巨人を去ることとなったことは、多くの人の記憶に刻まれている通りだ。
「すっかり穏やかになった」感のある令和の読売周辺
その後の落合の心境は本書に譲るが、いずれにしても、刺激的な発言を意図的に放つ大物選手が巨人に入団し、また読売本社にも"大御所”なる人物が君臨していただけに、90年代のメディアはグラウンド内外の巨人の話題には事欠かなかっただろう。
翻って、30年の時を経た令和の読売巨人軍はどうか。周辺は随分と穏やかになったように思う。
落合のような個人主義を前面に打ち出す選手は見当たらない。
監督の世代交代も順調に行われ、フロントもすっかり"ナベツネ”後の体制に刷新された。
選手、監督、フロントそれぞれが、外野の声に惑わされることなく自身の持ち場に専念できる状況になった様にプロ野球ファンに映ることは、良いことなのだと思う。
なにかと騒がしかった、30年前の「VS.落合」の頃が異常だったのだろう。
来季逆襲へ、今オフFAの主役となれるか
今季、4シーズンぶりにリーグ制覇を果たした巨人だが、CSファイナルでDeNAに敗れ、惜しくも日本シリーズ出場を逃した。
その翌日、阿部監督は読売新聞本社を訪れ、山口寿一オーナーにシーズン終了を報告。報道には、敗因をオーナーと共有し、オーナーからは「来年は日本一を目指そう」と言われたとあった。
そして「短期決戦の難しさ、とか。チームの課題は明確に出た。打てなかったからね。なんとか打撃陣をというね。そういう話でした」とも。
今季の様なシーズン報告を渡辺恒雄氏(現読売新聞グループ本社代表取締役主筆)ならどのように受け止めたかは知る由もないが、いずれにしても、12年間日本一から遠ざかっているだけに、今オフは今まで以上に組織一丸となって戦力強化に臨む必要がある。
ドラフトはすでに終わった。現場からの"二遊間強化”の要望を果たすべくフロントは上位3名内野手の指名に動いた。
今後は、今季15勝を上げた菅野智之の代わりを務められる投手の獲得に動いていくことになるだろう。一部報道では、前田健太(タイガース)の名が取り沙汰されている。
そして、阿部監督がCSの敗因とした打撃強化には、FA参入が不可欠と思われるが、今季のFA有資格者で巨人の求める選手が市場に現れるかは不透明だ。
いずれにしても、課題克服に向けたフロントの手綱さばきを巨人ファンはオフシーズン、固唾を飲んで見守ることだろう。
球団オーナーはその成果でファンから名を覚えてもらえば良い。本社、フロントに"大声”は必要なく、ただただ行動あるのみ、だ。
10月30日、山口寿一オーナーは秋季キャンプが行われているジャイアンツ球場を電撃訪問した。東スポWebによれば、来季の巻き返しに向け、以下のように秋季練習の重要さを説いたという。
山口オーナーの姿勢たるや巨人ファンならずとも好感が持てる。「オーナーの鏡」とまではいうつもりはないが、30年近い前に同じ職にいた方と比べて「はるかに誠実」との印象をもったことは、最後に付しておく。